もう古着でしか⼿に⼊らない! 2000年前後、ボクらを熱狂させた名作【裏原ストリート編】 〈グッドイナフ〉〈ジェネラルリサーチ〉〈リボルバー〉〈ヘッド・ポーター〉ほか
あれから30年余り。当時のカルチャーが再び熱い視線を集めている。あの頃、列に並んでいた者も、生まれてすらいなかった者も、同じブランド・アイテムを同じ熱量で探している。
『knowbrand magazine』では、これまでも裏原系ブランドを取り上げてきたが、今回は満を“g”して当時のシーンの玉将が登場。裏原宿の熱狂を振り返りながら、少し広い視点で当時のストリートを彩った名品を紹介する。
「裏原宿」のはじまり。
藤原ヒロシと
〈GOODENOUGH〉が創った
熱狂のカルチャーとは?
今日まで無数の熱狂を生み出してきた街・原宿。裏原宿の前は、クニちゃん、ノリピー、マーシーら人気芸能人によるタレントショップが竹下通りを賑わせ、バンドブームを追い風に、ホコ天ではJUN SKY WALKER(S)をはじめとする人気バンドが生まれた。だが、90年代前半に入ると、どちらもが余熱の時期を迎える。
求められはじめた次なる火種は、当時はまだ閑散としていた原宿の裏通りで動きはじめる。のちに「裏原系」と呼ばれるブランドの誕生である。NIGOの〈A BATHING APE ア ベイシング エイプ〉、高橋盾(JONIO)の〈UNDERCOVER アンダーカバー〉、そして藤原ヒロシの〈GOODENOUGH グッドイナフ〉。90年代前半から中盤にかけて、多数のブランドがこのエリアで産声を上げた。なかでもシーンに影響を与え続けたのが、藤原ヒロシとグッドイナフだ。藤原ヒロシは80年代からリミックスDJとして活動し、高木完とのユニット「TINY PANX」でも名を上げる。その一方でヴィヴィアン・ウエストウッド、ショーン・ステューシーらと親交を深め、吸収した音楽やファッションを雑誌『宝島』『CUTiE』での連載を通じて発信。枠に捉われない活動で若者のカリスマになりつつあった。
ストリートのカリスマ的ゴッドファーザーHFこと藤原ヒロシ
その藤原ヒロシがSKATE THINGらとともに1990年に始めたのがグッドイナフだ。さらっと「藤原ヒロシのブランド」と紹介したが、当時、作り手は非公表。まぁ、いつ頃からか暗黙の了解みたいなものは存在していたが。ともあれ、藤原ヒロシが雑誌でグッドイナフなど裏原系ブランドを紹介すると、若者が「NOWHERE ノーウェア」をはじめとするショップに列を作る。いつ何がリリースされるかもわからず、「今日は何かある!」という期待を胸に並ぶ。お目当ての品が買えなかったら「次こそは」と、また並ぶ。さらに、すぐ近くの遊歩道ではヘッズたちが勝手にフリマをはじめ、不要になったアイテムを売る。それが当時の裏原宿の日常。こうして熱は膨らんでいった。
この熱狂の極め付けが、1997年オープンの「READY MADE レディメイド」だ。藤原ヒロシが店に関わり、すでにプレミア化していたグッドイナフの名作が復刻販売。入荷日には長蛇の列と整理券、入荷日以外に行けば棚はほぼ空。そんな店だった。

「裏原宿」で数々の伝説を作った〈グッドイナフ〉。「グラムg」はブランドを象徴するロゴのひとつ。
この頃の裏原系は、タレントショップやバンドブームのような「誰もが知る原宿のカルチャー」ではない。それでも初期からのファンに、少し遅れてきた者、さらに下の世代も加わり、人口も熱量も最高潮だった。
そのレディメイドも、2年あまりで閉店。熱狂の裏では、列が原因の近隣トラブルもあったようだ。その短さが、この店を裏原宿一の伝説にした。入れ替わるように2000年頃からは、裏原に魅せられた次の世代が続々とブランドを立ち上げ、ストリートファッションは細分化されていく。それにつれて「裏原系」という言葉も聞かれなくなっていった。
そして現在。〈NEIGHBORHOOD ネイバーフッド〉のように90年代から続くブランドはあるが、多くは活動を終えている。それでも、かつて裏原宿と呼ばれたエリアには、今もストリートファッションが根付いている。
(→「藤原ヒロシ」に関する特集記事はこちら)
(→〈アンダーカバー〉に関する特集記事はこちら)
(→〈ア ベイシング エイプ〉に関する特集記事はこちら)
もう古着でしか⼿に⼊らない名作
〈GOOD ENOUGH グッドイナフ〉。
名作ロゴパーカとデニムセットアップ
「ベンチレーショングッドEパーカ」
デニムパンツ「Lot.8221」
デニムジャケット「Lot.8111」
裏原宿を熱狂させたアイテム・ブランドを振り返っていこう。当然、先陣を切るのはグッドイナフだ。現在、リユースマーケットでは90年代から10年代の復刻まで、幅広いアイテムが出回っているが、今回は90年代〜00年代初頭の3作を紹介する。
ひとつ目は、フロントに「GOOD」、バックに「E」がプリントされた「VENTILATION GOOD E PARKA ベンチレーション グッドEパーカ」。GOODとEを組み合わせたパーカは、90年代にもリリースされた人気のデザイン。2001年発売の本作では、筆で書きなぐったような迫力満点のフォントが採用された。
〈グッドイナフ〉の「VENTILATION GOOD E PARKA ベンチレーション グッドEパーカ」。
この時期のグッドイナフのボディは一目でわかる。ハイネックでドローコードの付かないフード、脇や首裏のベンチレーション、そしてパイピングが施されたカンガルーポケット。発売時期が近いパーカはおおむねこの形で、本作やクロスドットの総柄が人気だった。
ハイネックでパイピングが特徴的なフード。被ってみると、ちょっと可愛らしくなる。
なかでも気になるのがベンチレーションだ。2000年前後のグッドイナフ、さらには藤原ヒロシが別で展開していた〈FINESSE フィネス〉のウェアは、この仕様を採用したアイテムが多い。一見ベーシックなボディでも、どこかに通気孔が設けられている。ベンチレーションのグッドイナフを見たら「2000年前後のアイテムだな」と容易に想像がつくほど、この時代に多く見られる仕様なのだ。

首裏と脇にベンチレーション。結構しっかりとしたサイズの穴が空いている。
洋服には、たいていタグが付いている。普段、それを気にすることはない。グッドイナフは、そのタグすらファンを喜ばせるディテールに変えた。Tシャツなら袖、パーカやジャケットならフロントのポケットなど、首以外の見える位置にタグを付けたのだ。今でこそ珍しくないが、90年代当時はまだ希少。それだけで気分は上がったものだ。
ちなみに袖にタグを付けるのは、藤原ヒロシが愛してやまない〈SEDITIONARIES セディショナリーズ〉の仕様を取り⼊れたのだとか。本作ではポケットに通称“グラムg”のタグが入り、裏面には販売年が記されている。


GDEHと年数の組み合わせは、1999年から2002年頃のアイテムで見かける。
このパーカは2015年に一度復刻されている。GOODとEのデザインはもちろん、ベンチレーションをはじめとするディテールまで忠実に再現された。あの頃買えなかった少年たちも、復刻時には立派な大人。このタイミングで手に入れた者も少なくないはずだ。
次のアイテムに話を進めよう。90年代は〈LEVI’S リーバイス〉の「501XX」をはじめとするヴィンテージデニムもブームだった時代。裏原系のトップスにヴィンテージデニムを合わせていた者も少なくなかった。同時に、裏原系ブランドのデニムも支持を集めた。グッドイナフでは「Lot.8221」が定番。藤原ヒロシが愛用していた一本をベースに作られたと言われているデニムパンツだ。
〈グッドイナフ〉のデニムパンツ「Lot.8221」。本個体の正確な発売時期はわからないが、90年代のアイテムの可能性がある。
愛用していたのはリーバイスの505。501のボタンフライが苦手で、NIGOの勧めで505を履くようになったという話がある。505は、ややテーパードしたストレートで、太すぎず細すぎない。その絶妙なラインは「Lot.8221」にも受け継がれている。

品番やサイズが入るパッチもしっかり残っている。このパッチは90年代のグッドイナフのデニムに使われていた。
ストリートブランドのデニムは様々なデザインのものが存在するが、グッドイナフのデニムはベーシックなものが多い。その中に隠れた自己主張がある。右バックポケットの縫い代にセルビッチ。普段は見えないが、少し屈んだ拍子にチラリと覗く。まるで、後ろポケットに挿したバンダナのように。声高には主張しないが、わかる者にはわかる。このさじ加減こそ、グッドイナフの真⾻頂だろう。
デニムはやはりセットアップで着たい。次はGジャンだ。「Lot.8221」と対をなすセットアップとして存在していたデニムジャケット「Lot.8111」を紹介する。
〈グッドイナフ〉のデニムジャケット「Lot.8111」。首元には「Lot.8221」と同じパッチが付いている。
「Lot.8111」は、リーバイスの3rdタイプをサンプリングしたデザイン。現在も多くのブランドが手本にする、Gジャンの王道だ。
丁寧に再現されているぶん、グッドイナフならではの個性は少なく、デニムパンツのようなセルビッチポケットもない。強いて言えばオリジナルボタンぐらいだろうか。だが、あえて“グッドイナフ感”がゼロの一着を選ぶ。そんな楽しみ方も粋というものだ。しかも本個体は色落ちの少ない良コンディション。ここから自分の色に育てるのも十分良いだろう。
グッドイナフももはや⽴派なヴィンテージ。2025年には〈Supreme シュプリーム〉とのコラボでシーンを沸かせた。
グッドイナフは形や販路を変えながら2017年の終了まで続いたが、藤原ヒロシが関わっていたのは2000年代前半までと言われている。市場価格もそれに比例しており、90年代前半の良コンディション品ともなれば、価格が高騰して争奪戦だ。その一方で、2000年前後のアイテムや、ベーシックなデニムのような“グッドイナフ感のない”一着なら、まだ手に入りやすい。この構図は裏原宿全盛の時代と変わらない。
(→「パーカー」に関する別の特集記事はこちら)
(→〈リーバイス〉の「505」に関する特集記事はこちら)
(→〈リーバイス〉の3rdタイプのデニムジャケットに関する特集記事はこちら)
もう古着でしか⼿に⼊らない名作
〈GENERAL RESEARCH
ジェネラルリサーチ〉
靴職人が生んだ無二のデザインが
時代を超えてパラサイトする
「ベルクロスニーカー」
「パラサイトジャケット」
「デイパック パラサイト」
次に紹介するのは、1994年、⼩林節正によって誕生した〈GENERAL RESEARCH ジェネラルリサーチ〉。ブランドは2006年に終了したが、現在は〈MOUNTAIN RESEARCH マウンテンリサーチ〉を中心に、テーマを深く掘り下げる「….. RESEARCH」という形で「リサーチ」の名が残る。
小林が作るアイテムは、裏原系のなかでも独自性が高かった。処女作にして最高傑作とも言われるダッフルコートは、トグルの代わりに⾰ベルトを鋲で打ち付けたデザインが斬新だった。
また、値札の代わりに付いていた赤いリボンは、当時の裏原宿を象徴するアクセサリーとなった。商品ではなく、あくまで値札。そのリボン欲しさにジェネラルリサーチを買ったヘッズもいただろう。
そしてジェネラルリサーチの全アイテムは、1から順番にスタイルナンバーが付き、タグに記載されていた。ブランド終了までにリリースされたのは2145品。スタイルNo.1は前述のダッフルコート、スタイルNo.2145は、フロントに「2145」とプリントされたTシャツ。2000番以上続いた品番は、最後にデザインそのものになった。
そんな同ブランドで最初に紹介するアイテムはスニーカーだ。実は小林は、浅草の製靴業を営む家庭に⽣まれ、イタリアで靴作りを学んだ⾗粋の靴職人。ブランドを始める前にシューズブランド〈SEtt セット〉を⽴ち上げ、すでに一定の成功を収めていた。そのキャリアを活かし、ジェネラルリサーチでもオリジナルスニーカーをリリース。1997年頃に登場して人気を博したのが、このベルクロスニーカーだった。
2トーンカラーと大きなベルクロが印象的な〈ジェネラルリサーチ〉の「ベルクロスニーカー」。
ストリートブランドがスニーカーをリリースする際、今なら、スニーカーブランドとのコラボを考えるかもしれない。だが、日本の小さなドメスティックブランドが世界的メーカーと組むようになるのは、もう少し先の話。だからこの時代は、「こういうのがあったら良い」を自分たちの手で形にしていた。
シュータンとヒールにロゴ。ボックスモチーフのロゴはジェネラルリサーチの代表的アイコンだった。
代表作は〈NIKE ナイキ〉の「AIR FORCE 1 HI」をサンプリングした本個体だが、ローカットもリリースされていた。こちらは印象が大きく変わり、〈adidas アディダス〉の名作「MASTER マスター」が頭をよぎる。ほかにもクレープソールのハイカットなど、ジェネラルリサーチのスニーカーは複数のモデルが存在し、今も稀に市場へ姿を現す。
ハイカットとローカット。ローカットは月日を経てキャンバス素材が墨黒にフェードし、味わい深い表情に変化。
裏原系ブランドのスニーカーで最も有名なのは、アンダーカバーの「JACK PURCELL ジャックパーセル」型だろう。実は、あのスニーカーの製作にも⼩林節正が関わっている。餅は餅屋ではないが、「スニーカーのことは小林節正に」が、当時の裏原宿のクリエイターたちの間では定説だったのかもしれない。
⼩林節正が持つ靴作りの技術は〈アンダーカバー〉の名作スニーカーにも注がれている。
ジェネラルリサーチを代表するシリーズがある。「PARASITE パラサイト」だ。洋服に無数の小さなポケットが取り付けられており、⼩林⽈く「メンズの洋服としては着るのが少し厄介なアートコンシャスなコレクション。それでも⽇常⽣活で着られるギリギリの線を突いた」とのこと。
その見た目は、当時の裏原系としてはかなり独創的。それゆえ、今でも他のブランドが無数のポケットを付ければ「パクった」と思われかねない。ならばどうするか。コラボすればいい。
2022年、〈is-ness イズネス〉がジェネラルリサーチとのコラボで「PARASITE」シリーズを復活させた。
〈ジェネラルリサーチ〉×〈イズネス〉の「パラサイトジャケット」。黒とカーキの2色がリリースされた。
イズネスは2001年に本格始動した、伝統と現代的センスを融合させるデザイングループ。同ブランドが復活させた「PARASITE」は2型あり、ひとつは、かつてジェネラルリサーチがリリースしたパラサイトポケットジャケットをアレンジした新作。
フロントには両胸に3つずつ、バックには大量のポケット。当時を知る者からすれば、たまらない密度だ。オーバーサイズのゆったりとしたシルエットで、裏地はチェック柄。ジップにはカラフルなフラップが付く。

タグには「PARASITE JACKET GENERAL RESEARCH PARASITE FOR IS-NESS」。リサーチの名が入るのが嬉しい。
ちなみにもうひとつの型は「PARASITE PADDING JACKET STYLE361」。シリーズ最大の衝撃作を現代に蘇らせた一着だ。そのアクの強さたるや、ギリギリの線を踏み越えている気がしなくもない。見たことがないという読者は、本稿を最後まで読んだあとで検索してみてほしい。
「PARASITE」の復活をもうひとつ。〈NEXUSVII. ネクサスセブン〉、〈GREGORY グレゴリー〉とのコラボレーションとなるバックパックだ。アウトドアの大定番に無数のポケットが寄生した。
〈ジェネラルリサーチ〉×〈ネクサスセブン〉 ×〈グレゴリー〉の「DAY PACK PARASITE デイパック パラサイト」。
3者のコラボは2022年より開始。初年度にブラック、翌年にコヨーテがリリースされ、2024年の年末に、ブラックをベースにパープルが効いた本カラーが登場。グレゴリーのなかでも人気の高い配色で、2種のリュックとポーチ、全3型が用意された。

サイドには、ペットボトルも⼊るポケット付き。〈グレゴリー〉のタグもココに配置。
ベースはグレゴリーのデイパック。使いやすさや機能性は折り紙付きだ。生地には軽量性と耐久性を兼ね備えた330Dコーデュラナイロンを使用している。無数のポケットは基本的に装飾だが、キャンプや旅行の小物を入れ分ければ便利かもしれない。もちろん、どこに何を入れたか把握できれば、の話だが。
当時物でも復刻・コラボでもいまなお強烈な印象を放つジェネラルリサーチ。
裏原系のリバイバルも数年が経過した。さまざまなブランドがシーンを再び賑わせているが、ジェネラルリサーチのアイテムは時代を超えてもなお唯一無二の存在感がある。90年代のアイテムは相当レア化しており、良コンディションの個体を⾒つけるのは困難だ。だからこそ、このような復刻モデルに焦点を定めても良いかもしれない。
(→〈ナイキ〉の「エアフォース1」に関する特集記事はこちら)
(→〈アディダス〉のスニーカーに関する特集記事はこちら)
(→〈アンダーカバー〉のスニーカーに関する特集記事はこちら)
(→〈グレゴリー〉のバッグに関する特集記事はこちら)
(→〈ジェネラルリサーチ〉のアイテムをオンラインストアで探す)
もう古着でしか⼿に⼊らない名作
〈REVOLVER リボルバー〉
世代を超えたコラボレーションが
話題となった
「スカルシューズ」
90年代後半になると、次の世代のストリートブランドが登場するようになる。その代表格だったのは1998年にスタートした〈REVOLVER リボルバー〉だ。立ち上げたのは、モデルのKIRIとARATA(現:井浦新。本稿ではARATAと記す)。今は俳優として活躍するARATAだが、90年代後半は『smart』『asayan』をはじめとするファッション誌の売れっ子モデルだった。そのARATAがブランドを始めたということもあって最初から注目度は高く、スタートしてすぐ、ペインティングチームのNGAPが内装を手がけた店舗兼事務所を、裏原宿の端に構えた。
初期のリボルバーは、既存のボディにブランドロゴなどのグラフィックをプリントしたアイテムが中心。背中の真ん中に小さく入る「★」が象徴的だった。グッドイナフのタグ、ジェネラルリサーチのリボンのような存在だ。
また、リボルバーのスポーツライン〈suiseeda スイシーダ〉も展開。ディレクターを務めたのは「BRAHMAN」のTOSHI-LOW。スイシーダ自体は数年という短い期間だったが、ミュージシャンをディレクターに据えるこの人選が示すとおり、リボルバーは、90年代後半に別軸でムーブメントとなっていたメロコアやミクスチャー、ヒップホップのミュージシャンとも親交が深かった。2001年にはイベント「REVOLVER FLAVOUR」もスタート。出演した「BACK DROP BOMB」「SHAKKAZOMBIE」らとはメディアでの共演も度々みられた。
裏原系の次世代でもあったリボルバーだが、その動きはこれまでのブラントとは異なる部分も多かった。KIRIも後年のインタビューで「裏原宿という括りにはされたくなくて、自分らは自分らという感覚でブランドをやっていた」と語っている。
ただし、裏原宿の先輩方への敬意も欠かさない。とくにNIGOとは「プロレス愛」で意気投合していたようだ(KIRI、ARATAは、ブランド初期に「NOAH」とコラボするほどのプロレス好き)。
そんなNIGOとの縁からリリースに繋がったのが、ア ベイシング エイプとのコラボスニーカーである。
〈リボルバー〉×〈ア ベイシング エイプ〉の「SKULL SHOES スカルシューズ」。
本作はア ベイシング エイプのオリジナルスニーカー「SKULL STA スカルスタ」がベース。トゥのスカルはスカルスタの象徴的なディテールだが、サイドに入るのはリボルバーのオリジナル柄「DEAD TREE デッドツリー」だ。シュータンやヒールにもグラフィックが入るなど、随所にリボルバーの要素が散りばめられている。
2000年代前半に使われていたリボルバーのオリジナル柄「DEAD TREE デッドツリー」がパンチングで浮かび上がる。
コラボの経緯について、KIRIは後年のインタビューで「自分のブランドでもスニーカー製作をやっていたんだけど、中々納得できる良いクオリティのものができなくて、自分が気に入っているAPEのスニーカーでやらしてもらえないかとお願いして実現した感じです」と語っている。
そうは言うが、簡単なコラボではなかったかもしれない。というのも、当時のア ベイシング エイプにとってオリジナルスニーカーは看板商品のひとつ。さらにリボルバー以前にスニーカーでコラボしていたのはアンダーカバーぐらい。それでも最強タッグは実現し、複数回続いた。これを実現させるほど、プロレスの友情は本当に強いのだろう。
タンとヒールにもロゴ。どれもリボルバー好きなら見たことがあるロゴだろう。
グラフィックが目を惹くシューズボックス。こうして箱の前にスニーカーを置いて飾るだけでも様になる。
今回紹介している個体は、なんと箱付きのデッドストック。2000年前後の名品でデッドストックは、滅多にお目にかかれない。マイサイズで履ければ言うことなしだが、サイズが合わなくても、コレクションとしての価値を思えば逃す手はない。
もう古着でしか⼿に⼊らない名作
〈HEAD PORTER ヘッド・ポーター〉
HFが“これがベスト”と称賛した
「ブラックビューティー
ニューPCデイパック」
ここまでに紹介したブランドを着用し、〈PORTER ポーター〉のバッグを身に付けていた者は挙手。それが〈HEAD PORTER ヘッド・ポーター〉だったら、90年代後半に生粋の裏原系男子だったはずだ。
ヘッド・ポーターは、藤原ヒロシによるポーターの別ライン。藤原ヒロシは1983年に老舗バッグメーカー〈𠮷田カバン〉のブランドのポーターから発売され代表作「TANKER タンカー」を発売当初から愛用。彼のバッグといえばタンカーというイメージは早いうちから出来上がっており、1994年にグッドイナフとポーター・タンカーのダブルネームを販売。このバッグは歴代のグッドイナフのなかでも上位の人気を誇った。ボディに裏原系ブランドのワッペンを貼り、ジップにジェネラルリサーチのリボンを付ける。これがお決まりだった。余談だが、今はコラボ、別注という言葉が主に使われるが、当時はダブルネームが主流。このダブルネームを流行らせたのも、裏原系ブランドであり、藤原ヒロシだったと言われている。
1998年、グッドイナフの項で触れたレディメイドの1階にヘッド・ポーターがオープンする。ブランド名は、ポーターのチーフ、つまり「ポーター⻑」の意を取って藤原ヒロシが名付けたそうだ。
販売されたバッグは、既存のポーターの形をベースにしながらも、ここでしか買えないものだった。アイテムには「HEAD PORTER」のタグが付き、クレジットカードサイズのワランティカードが付属する。「ポーターだけどポーターじゃない」。そんな特別感があった。
代表モデルはネイビーのタンカー。当時、この色を買えたのはヘッド・ポーターだけだった。90年代後半は裏原界隈の外にもタンカーの人気が広がっていたが、ネイビーであることは裏原系男子のしるしだった。
ヘッド・ポーターの名作は他にも「Sunbrella サンブレラ」や「PYTHON パイソン」などがある。そして「BLACK BEAUTY ブラックビューティー」。これもブランドを代表する名作だ。
〈ヘッド・ポーター〉の「ブラックビューティー」シリーズから「ニューPCデイパック」。
ブラックビューティーシリーズは2000年、ヘッド・ポーターの直営店がニューヨークにオープンした際の目玉商品のひとつとして誕生。その後、逆輸入的な形で日本でも販売されるようになった。

お馴染みの〈ポーター〉のロゴまでブラック⼀⾊。この黒で統一された美しさこそブラックビューティー。
「シンプルにして洗練」。それがブラックビューティー。マットな質感の高密度ナイロンは摩耗に強く、付き合いのあった織屋が持っていた下地に加工を加えて誕生したものだそうだ。今でこそ機能素材の黒いリュックは数えきれないほど存在するが、当時はベーシックなコットン素材が主流。ブラックビューティーの素材は、実に新鮮だった。

「BLACK BEAUTY」のタグが内側に付く。
もうひとつの魅力が機能美だ。このニューPCデイパックは、メイン収納が2層に分かれ、伸縮性のある別素材で切り替え。内部には小物用のポケットも多数。さらに底面にはエクストラバッグを収納し、旅先で荷物が増えても慌てずに済む。色という情報を削ぎ落としているからこそ、ひとつひとつの機能が造形として立ち上がってくる。
メイン荷室は2層。伸縮性のある⽣地との切り替えも特徴。内部にはポケット多数。
本デザインは2005年に初登場。藤原ヒロシは黒と白の2トーンを愛用し、「今までいろいろと作りましたが、これがベスト」と発売当時の雑誌でコメントしている。多くの物を見てきた人物が「ベスト」と唸る。これほど説得力がある言葉は他にはない。
背⾯側にラップトップPC専⽤スペース。当時のデイパックとしては希少なディテール。こういう目の付け所がHFたる所以。
ユーズド市場で探す際の注意点をひとつ。ブラックビューティーのボディは経年劣化を起こしやすく、年⽉が経った個体では表面が明らかに劣化しているものもある。「古いものが欲しい」という気持ちにはなるが、ブランド終了までリリースが続いたシリーズ。愛用したいのであれば、年代にはこだわらないことをおすすめする。

ショルダーハーネスの左右にもポケットをアシンメトリーに配置。左にはサングラス、右には小物が収納可能。
レディメイドの終了後もヘッド・ポーターは営業を続け、2001年からはアパレルライン〈HEAD PORTER PLUS ヘッド・ポーター・プラス〉もスタート。バッグ、ウェアともに長く人気を博したが、ヘッド・ポーターは2019年の春夏シーズンをもって終了した。現在は後継ブランドの〈RAMIDUS ラミダス〉が、レディメイドのあった場所で営業を続けている。そこではラミダス名義となったブラックビューティーも買うことができる。
バッグの底⾯にエクストラバッグを収納。荷物が増えても⼼配いらず。
アイテム数が多いだけに、探す楽しみもまた多し。
「ニューPCデイパック」以外にも、トート、ショルダー、ウエストバッグ、財布など、ブラックビューティーは幅広いアイテムがリリースされてきた。リュックひとつとってもさまざまな形がある。もちろん、どのアイテムも機能的。そして長く販売されてきただけに、ユーズド市場での出会いも多い。形とコンディションにこだわって、お気に入りの一点を見つけてほしい。
(→〈𠮷田カバン〉に関する特集記事はこちら)
(→〈ポーター〉の「タンカー」に関する特集記事はこちら)
もう古着でしか⼿に⼊らない名作
〈Levi’s fenom リーバイス フェノム〉
日本のストリートが、定番を塗り替えた
デニムパンツ「505-0207」
同潤会アパート(青山アパートメント)が表参道ヒルズへと姿を変え、原宿・表参道の人の流れが大きく変わっていく2000年代半ば。裏原宿という言葉が役目を終えようとしていたその頃、藤原ヒロシ率いるデザインプロジェクト〈fragment design フラグメント デザイン〉は〈Levi’s リーバイス〉と手を組み、〈Levi’s fenom リーバイス フェノム〉をスタートさせた。
2005年のスタートということで、裏原系ファッションの全盛とは少しタイムラインが異なる。それでも、藤原ヒロシが作り上げてきたストリートファッションを語るうえでは不可欠な存在だ。
展開は、東京・南青山に存在した「Levi’s Tab Device リーバイス タブデバイス」など、ごく一部の店舗に絞られた。リーバイスが持つ絶対的なクオリティと伝統的なディテールを踏襲しながら、ユースカルチャーから刺激を受けた新たなデザインや素材を数多く採用。既存のリーバイスとは⼀線を画した、コンセプチュアルなラインだった。
かつては原宿のごく小さなマーケットでしかなかったストリートファッションが、10数年の時を経て、デイリーカジュアルの最高峰と共作する日を迎える。「裏」と呼ばれた場所から生まれたものが評価され、表も裏も無くなった、何よりの証だろう。
リーバイス フェノムで人気が高かったのは、もちろんデニムパンツ。なかでもファーストデリバリーとしてリリースされた「505-0207」は、藤原ヒロシがグッドイナフでもサンプリングしていたリーバイス505がベースになっており、多くの支持を集めた。
〈リーバイス フェノム〉の「505-0207」。やや太めのリラックスフィットで、裾にかけて緩やかにテーパードしたシルエット。
通常のリーバイスとは何が違うのか。なぜ高い人気を誇ったのか。それはやはりディテールだろう。⼀⽬でフラグメント デザインとわかるアイコン、通称「サークルサンダー」が右バックポケット上にプリントされている。お尻に電撃が走って、ファンは失神だ。
そして、グッドイナフのデニムにもあった右バックポケットの縁のセルビッチ。この時すでに、グッドイナフの熱狂から10年あまり。当時を彷彿とさせるディテールで、失神していたファンは眼を覚ます。このディテールは、藤原ヒロシと清永浩⽂がスタートさせた〈uniform experiment ユニフォーム エクスペリメント〉のデニムにも受け継がれている。
さらにはリーバイス フェノムとフラグメント デザインが記載された専⽤のネーム、太もも部分のTALONジップ付きサイドポケットなど、スペシャルなディテールが満載。

505という揺るぎない下敷きの上を、藤原ヒロシの感性が自由に走り回っている。
リーバイス フェノムは、それ自体がコラボプロジェクトでありながら、さらにさまざまなコラボを展開。〈AFFA エーエフエフエー〉(Anarchy Forever Forever Anarchy)、〈mastermind JAPAN マスターマインド・ジャパン〉、村上隆、KAWS…。2010年代前半に終了するまで、リーバイスのデニムパンツという永遠の定番品に、新しい可能性を見せてくれた。

グッドイナフ(左)では愛用のジーンズを再現し、リーバイス フェノム(右)では、自分の色でアップデートさせた。
リーバイス フェノムは、本稿で紹介したアイテムのなかでは活動時期が遅いため、ユーズド市場でも比較的多くの個体を見かける。デザインやコラボといった従来からの価値に加え、今は「色落ち」というデニムパンツだからこその付加価値もまとった。ヴィンテージデニムの再ブームが続く今、人とはちょっと違う目線で、日本のストリートが生んだ名作を掘ってみても面白いかもしれない。
(→〈リーバイス フェノム〉のアイテムをオンラインストアで探す)
1990年代のはじめ、まだ人通りも少なかった小さな路地で誕生した裏原系は、多くのヘッズを巻き込むムーブメントへと発展し、今日まで続く日本のストリートファッションの礎となった。
いまも藤原ヒロシの新しいプロジェクトには多くの人が反応し、「GE」の文字が突如登場すると、シーンは大いに沸く。もしも藤原ヒロシが存在しなかったら。グッドイナフを始めていなかったら。原宿のファッションは、どうなっていただろう。まるで想像がつかない。それほどまでに、この男と、このブランドがシーンにもたらしたものは大きい。
はじまりは、たった一枚の歩のような力しかなかったかもしれない。だが、同じものを好きな歩が集まるうちに、いつしか裏へと返り、日本のストリートファッションそのものになった。裏原宿の「裏」とは、成るための裏だったのかもしれない。
(→「もう古着でしか⼿に⼊らない!2000年前後、ボクらを熱狂させた名作【モード編】」はこちら)
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