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アメカジの定番〈リー〉の人気モデルと歴史を識る 「ジーンズ」「デニムジャケット」「オーバーオール」ほか。

暦の上では2025年秋。しかし、もう何度目の春であろうか。タフで武骨なブルーデニムが、またもやストリートの主役に踊り出んとする。

ワークウェアを原点に持つ、普遍にして究極のファッションアイコン。だからこそ、デニムはトレンドとは無縁という向きも根強い。それでも、昨今の盛り上がりは無視できないレヴェル。古着に新作、モードにカジュアルと、デザインや出自はなんでもござれの勢いだ。

いわば百花繚乱。一方で玉石混交。ある種カオスな状況にあって、“ビッグスリー”のレガシーは今なお圧倒的存在感を放っている。〈リーバイス〉、〈ラングラー〉、そして〈リー〉。その蒼きプロダクトが伝えるのは、気高きアメリカの魂と青春の薫り。今回はそのうち、創業年順では“次男坊”にあたるリーのデニムに焦点を絞ろう。

〈Lee リー〉の歴史
デニムと“縁遠い”老舗が、
歴史に残るスマッシュヒットを連発

リーバイスの創業は1853年、ラングラーが1904年。その合間の1889年にバーモンド州生まれの実業家ヘンリー・デヴィッド・リーが立ち上げた「H.D.Lee Company H.D.リー カンパニー」を発祥とする〈Lee リー〉だが、当初の事業内容は食料品の卸し。意外にも、デニムとはまるで縁がなかった。

1900年代初頭に既製のワークウェアを仕入れ始め、これを機に変革の道を辿っていく。1911年には自社工場を設立して、オリジナルのデニムウェア製造をスタート。アパレルブランドとして確立されたのはこの頃だとされる。

ただし、リーの歴史において最初に注目を集めたのはいわゆる5ポケットのデニムパンツではない。1913年発表の「Union-Alls ユニオン オールズ」と呼ばれたオーバーオールがそれにあたり、第⼀次世界⼤戦で⽶軍の公式ユニフォームに採⽤された。

そして終戦から5年後、1924年には満を辞して5ポケットのジーンズをリリース。カウボーイやロデオプレーヤーの意見を取り入れた「Cowboy Pants カウボーイ パンツ」は翌年にスタイルナンバーが与えられ、傑作シリーズ「101」の源流となった。

同じく1925年に軽量性と耐久性に優れた「ジェルトデニム」素材を開発。翌1926年には世界初のジッパーフライ搭載ジーンズという革命児を産む。“目ウロコ”の機能性は瞬く間に評判を呼び、後の「ライダース」シリーズへとつながっていくことに。

快進撃は続く。1931年にタイトな身幅とショート丈を特徴とする「101J(101 スリムジャケット)」を、1933年に襟と裏ボアが付いた「ストームライダー(Storm Rider)」ジャケットをリリース。第二次世界大戦後の1946年には「101 カウボーイパンツ」の名称が「Lee Riders リーライダース」に変更され、1949年になるとレディースライン「Lady Lee Riders レディ・リー・ライダース」をスタートさせている。

なお、日本での販売が正式に始まったのは1972年のこと。当初は繊維専門商社(リーバイスの日本代理店でもあった)堀越商会によるものだったが、1983年にはリー・ジャパンが運営を開始する。1986年からはリー・ジャパンがエドウィンの⼦会社となり、輸⼊・販売に加えて⽇本国内での⽣産も始まった。

(→〈リー〉に関する別の特集記事はこちら①)

(→〈リー〉に関する別の特集記事はこちら②)

 

アメカジの定番
〈Lee リー〉の人気モデル
金字塔的ボタンフライ。
「101B」

ブランドの足跡を早足で振り返ったところで、意気揚々と銘品の紹介に移ろう。まずは、〈Lee リー〉の数あるジーンズのなかでも金字塔とも表現すべき「101」。そのボタンフライ仕様である「101B」の魅力に迫っていく。

ブランドの代表作である「101B」は、1924年に発表された「COWBOY PANTS」をルーツに持つ5ポケットデニム。

見てお分かりの通り、第一の特徴は美しいグラデーション状のフェードだ。ジーンズの醍醐味とも表現すべきこの経年変化だが、リーの色落ちは他所とは一線を画すことをご存知だろうか。

その秘密は、縦⽷の交差が右下がりになる左綾(左下がり綾)と、同方向に撚られたコットン糸のマリアージュにあり。〈Levi’s リーバイス〉などに見られる、縦⽷が右上がりに交差する右綾(右上がり綾)に比べて綾目が強調されることにより、ナチュラルな⾵合いの変化が楽しめるそうだ。

左綾で作られたデニムを採用することで、他ブランドとはひと味違う経年変化が楽しめる。

ディテールにもチェックポイントが多数存在するが、真っ先に言及すべきはバックポケットの波状ステッチ。通称「Lazy S レイジーS」として愛されるこの意匠は、実は苦肉の策によって生まれた。

というのも、1943年以前は弓形のデザインが使われていたが、かのリーバイスがアーキュエイトステッチを商標登録して以降は使用不可能になってしまったのだ。災い転じて福となす。アイコニックなバックシャンの誕生には、そんな“必然“が潜んでいる。

お馴染みのステッチ「レイジーS」は、内部の補強布を縫い付ける役割も果たしている。

ポケット上部も注目に値。その両端には、“スレッドリベット”と呼ばれるX字の補強ステッチがあしらわれている。他の老舗デニムブランドのような金属リベットを用いなかったのは、⾺の鞍や椅⼦を傷つけないようにとの配慮ゆえ。その優しき精神性は、現代におけるSDGsの走り、と言えなくもない。かもしれない。

(→〈リー〉の「101B」の「ジーンズ」をオンラインストアで探す)

 

アメカジの定番
〈Lee リー〉の人気モデル
デニム界に衝撃を与えた“発明品”。
「101Z」

ボタンフライの後に続くのは、当然ながらジッパーフライ。ブランドの逞しきフライ・ハイを支えた1927年生まれの画期的モデル「101Z」を見ていきたい。

「101Z」の「Z」が意味するのは、デニムカルチャーを発展させる歴史的一歩だった。

先に述べたように、今作は世界で初めてジップ式のフロントを装着。着脱に時間を要するボタン式に比べて利便性が増したことで、ジーンズは単なるタフウェアの域を超えていく。シンプルでいて大きな変更は着用者にメリットをもたらし、業界にも多大な影響を与えた。大袈裟ではなく、ジーンズがカジュアル化する第一歩を担ったのだ。

ジッパーフライや片耳など、アイコニックなディテールが満載。写真の1本は1950~60年代製と推定される。

歴史的な1本は、1950年代にも世間を大いに賑わせている。そのきっかけとなったのが、1955年公開の青春映画『理由なき反抗』で魅せたジェームス・ディーンのスタイル。〈McGREGOR マックレガー〉の真っ赤なジャケット、⽩いTシャツ、そして101を纏った彼の立ち居振る舞いは若者の心を突き動かし、カルチャーシンボルへと⾶躍していった。

製造された年代によって「レイジーS」の顔立ちは絶妙に変化。色落ちだけでなく、湾曲具合もお好みが探せる?

ちなみに、ジェームス・ディーンはプライベートでも101Zを愛用していたらしい。兎にも角にも今年で生誕100周年を迎えたデニム界の風雲児は、かの名優よろしくエターナルに支持されるはずだ。

(→〈リー〉の「101Z」の「ジーンズ」をオンラインストアで探す)

 

アメカジの定番
〈Lee リー〉の人気モデル
馬上で輝くスマートな傑作。
「101J」

続いても101シリーズの名作だが、パンツではなくトップスをピックアップ。デニムジャケット「101J」、その名称に付いた「J」のアルファベットは「Jacket(ジャケット)」の略だとされる。

「101J」はカウボーイのための服。馬上で都合のいい、短丈かつスリムなシルエットを特徴とする。

リリースは1931年。タフウェアを必須とするカウボーイに向けたウエスタンジャケットとして生を受けている。とりわけ特徴的なディテールであるラウンド型フラップの胸ポケットも、その出自に由来。馬上でも自然な体勢で胸ポケットに⼿が届くよう、内側に軽い傾斜がつけられた。

実⽤性とスマートな見栄えの両⽴は、ポケット⼝から裾へと伸びるステッチ、フロント中央を走るジグザグ状ステッチにも散見。本体の補強を担うとともに、絶妙な視覚的アクセントを兼ねている。

背タグからは1950年代中期〜後期のモデルと推測される。

ボディには、リーの代名詞である左綾のデニム⽣地を採⽤。柔らかな質感と見事な縦の⾊落ちは、同生地で作られたパンツに当然ながら負けず劣らず。無二の喜びを伝える。

シルエットは着丈が短く、身幅はややタイト。馬に乗った際にも邪魔にならないよう設計されたと推察されるが、このある意味で現代のトレンドにそぐわない形状もヴィンテージフリークにはたまらないアジとなる。

斜めにデザインされた胸ポケットがアイコニック。袖口には金属、アジャスターベルトには猫目のボタンが付けられる。

腰元には両サイドにふたつずつのボタンを備えたアジャスターベルトが装着され、シルエットやフィット感の調整が可能。タイムレスなスタイルは、背面からも顔を覗かせるのだ。とはいえこのおかげで自分好みの着方にアジャストできるため、モダンなディテールという捉え方もできるだろう。

(→〈リー〉の「101J」の「Gジャン」をオンラインストアで探す)

 

アメカジの定番
〈Lee リー〉の人気モデル
クールでホット。
カウボーイジャケットは次なる領域に。
「101LJ」

次なるジャケットは品番やベースデザインこそ「101J」と同一ながら、明らかに似て非なる存在。「101LJ」、通称「STORM RIDERストームライダー」にスポットを当てる。

101Jをベースに、ディテールで防寒性を高めた「101LJ」。

ただし、その通り名は発売当初からの正式名称ではない。モデル自体は1933年に発表されたが、タグに「STORM RIDER」と記されるようになったのは1960年代に⼊ってからのこと。つまりはそれだけ愛され、市場に広く定着していったことの表れとも受け取れる。

コーデュロイの襟の奥には、1970~1973年製を示す刺繍タグが。裏地の横縞ブランケットは、80年代を過ぎると縦縞のデザインに変更されていく。

101Jと101LJ。その唯一にして最大の違いは、優れた防寒性にある。後者の襟部分にはコーデュロイ⽣地が使用され、冷気を効果的に防いでくれる。さらに、裏地にはブランケット地のライニングをセット。冬場の野外での就労環境にもフィットする極めて合理的なふたつのディテールは、言わずもがな見た目のアクセントとしても機能する。

襟や裏地の“衣替え”だけでなく、ジャケット自体により厚みを持たせることで防寒性能を高めている。

なお、101LJ a.k.a.ストームライダーが不動の地位を築いた背景としては、同作を華麗に着こなした著名人の存在も⼤きい。1961年公開の映画『ザ・ミスフィッツ』の劇中ではマリリン・モンローが、1963年の映画『ハッド』ではポール・ニューマンが着⽤。映画『⼤脱⾛』などで有名なスティーブ・マックイーンは、プライベートで愛⽤していたそうだ。

さらに余談となるが、品番の表記「L」は「Lining(裏地)」からきているとも噂されつつ、その真相は不明。謎めいた魅力も、傑作とは切り離せない要素なのだろう。

(→〈リー〉の「101LJ」の「ストームライダー」をオンラインストアで探す)

 

アメカジの定番
〈Lee リー〉の人気モデル
ワーカーを支えた芯の強いブラウス。
「91B」

続いて紹介するジャケットは、玄人好みの1着。Gジャンとカバーオールの中間のような絶妙なデザインを持つ隠れた名作、「91B」をご覧いただこう。製造は1920年代後期に始まり、1970年代まで。ちなみに品番に付いたアルファベットは、「Blouse(ブラウス)」の頭文字にあたる。

ブラウスの名に恥じない温故知新的ワークジャケット「91B」。

ブラウスの語源を紐解けば、中世ヨーロッパで親しまれた「ブリオー」と呼ばれるチュニック型の衣服、もしくは18世紀のフランスで労働者が着用していた「ブルーズ」というスモックがヒットする。なるほど、着丈の長い91Bのデザインは、そのどちらをモチーフとしていると言っても差し支えなかろう。

1960年代後期〜1970年代前期の製造を示す背タグにはブランド名のほか、「ジェルトデニム(JELTDENIM)」の⽂字も。

さて本作、シルエットのほかにもうひとつ大きな特徴を備えている。実は、リーのワークジャケットとして初めてファスナーを採⽤したモデルなのだ。ジーンズのフロントデザインと同じくジップ式によって着脱が容易になったうえ、ジャケットとしては優れた防風性の実現にも寄与。カウボーイジャケットとはまた違った文脈で、ワーカーの活躍を支えた。

胸ポケットとサイドポケットは、ともに特徴的な湾曲デザイン。胸のジップは吊り下げの「涙TALON」、フロントジップは先端が丸みを帯びた「棒TALON」を採用。

細かなハイライトとしては、胸元に位置する斜めジッパーのポケットや両サイドの湾曲したデザインのポケットも必⾒の出来。神は細部に宿る。そんな名言の通り、出色のディテールでも完成度の高いオリジナルデザインを体現している。

(→〈リー〉の「91B」の「ジャケット」をオンラインストアで探す)

 

アメカジの定番
〈Lee リー〉の人気モデル
鉄道員のための、
理由あるカバーオール。
「91J」

先ほど名前を挙げたが、ジーンズやGジャンに限らずカバーオールもリーのワークウェアを代表するアイコニックな逸品。とりわけ名作として知られるのが、この「91J」だ。またの名を「Loco jacket ロコ・ジャケット」というが、そのネーミングは鉄道労働者のために設計されたことに由来。英語で機関⾞を意味する「Locomotive ロコモーティブ」からの派生である。

「91J」と名付けられたカバーオールは、Gジャン以上に劣らない知名度を誇る。

1928年から製造され始めた本作の見どころもまた、鉄道にまつわる数々のディテールにある。まずは左胸のポケット。これは鉄道労働者が懐中時計を収納するためのウォッチポケットであり、同箇所の真裏の内⾝頃には時刻表を収納するタイムブックポケットが併設されている。

背タグは1950年代頃のもの。左胸のポケットは鉄道員フレンドリーな設計で、袖の取り付け部にはトリプルステッチが。

さらに両サイドには、作業で使⽤する⼯具や⼿袋などの収納にも十分なサイズのポケットを装備。耐久性の高い11.5オンスのジェルトデニム生地、強固なトリプルステッチの縫い合わせなどのタフネスも相まって、当時の鉄道関係者からは絶大な支持を集めたという。

そしてもう一点、リーのカバーオールを語るならば避けては通れない名デザインがある。それがこの、ヒッコリー柄のモデル。91J誕生の前年、1927年に「HICKORY STRIPE ヒッコリーストライプ」の名前で販売されたのがルーツとされる。

「ヒッコリーストライプ」かつ「⼤戦モデル」と、レアな要素が満載の「S98J」。

本作もロコジャケットと同じく、鉄道作業員に向けて考案されたもの。インディゴブルーに比べて煤やオイルなどの汚れが⽬⽴ちにくくなるよう、新たにストライプ柄が採用されたそうだ。

通常5つのボタンが多い中、こちらは4つボタン仕様。袖⼝のボタンも通常は3つほどだが、今作はひとつだけ。

写真は、第⼆次世界⼤戦中の物資統制の最中で製造された「大戦モデル」と呼ばれる1着。⽷、⽣地、⾦属パーツなどの使⽤が制限された時代特有のディテールを持つ、レアなカバーオールである。通称「ハウスマーク」が付いた1940年代頃の背タグも、その歴史を証明。品番は「S98J」で、頭文字の「S」はSimplified(簡素化)を意味している。

左が⼤戦モデルで、右が通常版。対戦モデルはボタン自体が大きく、ボタンを並べる間隔が広い。

この章の結びに、小ネタも少々披露しておこう。これまでカバーオールと連呼してきたが、実はこれ和製英語。同デザインはアメリカで“チョアジャケット”と呼ばれ、チョアとは雑用を意味する単語なのだ。ファッション好きの雑学として、ぜひ覚えておいてほしい。

(→〈リー〉の「91J」の「カバーオール」をオンラインストアで探す)

(→〈リー〉の「98J」の「カバーオール」をオンラインストアで探す)

 

アメカジの定番
〈Lee リー〉の人気モデル
5ポケット前夜の
ブランドを支えた大黒柱。
「91SB」

本作はカバーオール、ではなくオーバーオール。いや、カバーオール本来の意味である“つなぎ”を鑑みれば、あながちカバーオールでないとは言い切れないのだが……。

「91SB」は、リーのワークウェアの“始祖”にあたるオーバーオールだ。

いずれにせよオーバーオールとは、汚れなどを防⽌するビブという胸当てが付き、肩ひもで吊って着⽤するワークウェアを指し示す。その武骨なルックスは、今また新鮮。ここに来て街中での着用例も増えており、高感度な洒落者ほどその魅力を再発見しつつある。

タグは1940年代のハウスマークデザインで、ロゴは通称“転がりe”を採用。サスペンダーのボタンはLeeの「L」が⻑い通称「ロングL」。

なお、前述の通りオーバーオールの歴史は古く、リーの公式サイトによると1911年に製造が始まったワークウェアの原点だとされる。8オンスのデニム生地で作られた当初のオーバーオールは、農夫や鉱夫、⽯炭まみれでの仕事を厭わない鉄道員からも⼤きな⽀持を得たそうだ。

左太もも部分にはハンマーループが、右太もも部分には定規を⼊れるためのスケールポケットがそれぞれ備えられた。

1913年には、「Union-Alls ユニオンオールズ」と呼ばれる上着とパンツがひとつなぎになったモデルも登場。その遺伝子を継ぐ現行品としては、デニム地のほかダンガリー生地の1着もカテゴライズされている。

(→〈リー〉の「オーバーオール」をオンラインストアで探す)

 

アメカジの定番
〈Lee リー〉の人気者
自社製品を纏う“トップ営業マン”。
「Buddy Lee バディ・リー」

本稿ラストを飾るのは、ジャケットでもボトムスでもオーバーオールでもなく、ましてやウェアですらない。ただし、その存在感は格別。ブランドの販促⽤キャラクターとして1920年代初頭に誕⽣した「Buddy Lee バディ・リー」のフィギュアである。

ファン垂涎のレトロフィギュア「Buddy Lee バディ・リー」。細部まで精巧に作られたウェアを纏い、ご満悦の表情を浮かべる。

身長約30cmの体躯をフルに活かし、1950年代の後半にかけて主にデパートのショーウィンドウで活躍。ミニチュア化されたリーの⾐装を纏う愛くるしい姿は、ファンからの熱い注目を集めた。

その過程において、見事に商品化が実現。初期のバディ・リー・ドールは壊れやすいコンポジション素材で作られていたが、1949年以降はプラスチック製に変更されて耐久性が向上している。

彼はリーの定番スタイルを忠実に再現する⼀⽅で、コカ・コーラやシェル⽯油など、他企業の制服を身に付ける気まぐれな一面も。どれも保存状態のいいオリジナルは⾼額で取引されるなど、希少なコレクターズアイテムとして今なお人気を博している。

ちなみに、1962年の製造終了後も復刻版がたびたびリスポーン。20世紀初頭から中頃にかけて業績アップに貢献した敏腕セールスマンは、ブランドの永遠性を示唆する好奇心旺盛な語り部でもあるのだ。

(→〈リー〉の「バディ・リー」をオンラインストアで探す)

過酷な労働環境に身を置くカウボーイや炭鉱夫、鉄道員などから愛されたタフウェア。リーのデニムはつまり、太陽が登りゆく時代のアメリカを支えた英雄たちのユニフォームだ。しかもその青色は着るうちに淡みを帯び、一方で味わいを増していく。経年を色落ちとともに物語る多少の傷は、まさしく勲章。どうして愛さずにいられようか。

さて、計9アイテムを伴う“御三家・次男”の紹介はひとまずここまで。次回は、デニムのファッション性をいち早く見出した“末っ子”の生き様に迫る。乞うご期待。

→世界三大デニムブランド〈Wrangler ラングラー〉に関する特集記事は、こちら
→世界三大デニムブランド〈LEVI’S リーバイス〉に関する特集記事は、こちら

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