CULTURE

元smart編集長・佐藤誠二朗が紐解く、UKストリートスタイルの系譜

“ストリートファッション”とは、街中にたむろする若者たちから自然発生的に生まれたファッションのことで、「アンチファッション性」と「トラッド性」の相反する両側面を持ちながら発展してきた。

近年は「ラグジュアリー・ストリートスタイル」の流行で“ストリート”の意味するところが曖昧になりつつも、音楽や若者の反逆性と結びついて誕生し、連綿と受け継がれてきた「UKストリートスタイル」が再び注目されている。

若者たちのストリートスタイルを時代ごとに解説した書籍『ストリート・トラッド〜メンズファッションは温故知新』の著者であり、雑誌『smart』の元編集長でもある佐藤誠二朗氏が、当時の音楽や映画などのカルチャーとともに変遷を辿ったUKストリートスタイルの系譜を紐解く。

ロッカーズとモッズ、
当時の若者を描いた『さらば青春の光』。

UKストリートスタイルには、三つの大きな系譜がある。

第一はロッカーズ系。1950〜60年代を中心に盛り上がった、バイクと革ジャンとブーツ、そしてロックンロールを愛した、男らしくワイルドなカルチャーである。

第二はモッズ系。スーツとスクーター、ソウルとブリティッシュロックを好む、都会的でクールなカルチャー。1960年代前半に一時代を築いている。

そして第三は1970年代前半に発生したグラムやハードロックあたりを起点とする、ロックスター系。憧れのミュージシャンのスタイルに少しでも近づこうと試みるようなカルチャーだ。70年代後半のパンク、80年代前半のニューロマンティクスやゴスなどを含めてもいいだろう。

三つの系譜は、時の流れとともに変質や原点回帰を繰り返しながら連綿と受け継がれ、現代のストリートスタイルにも随所にその影響が見られる。また、それぞれは独立独歩ではなく、互いに絡み合ったり影響を与えたり、はたまた対立したり融合したりしてUKストリートスタイルは発展してきた。

ロッカーズとモッズの生態やファッションを知ったり、当時の若者の心情を感じたりするのに最適の映画がある。1979年に公開されたイギリス映画『さらば青春の光』だ。

同作品の舞台は1964年のロンドン。主人公のモッズ青年ジミーは、頭の固い両親との生活やメールボーイという退屈な仕事にうんざりした毎日を送る一方、おしゃれに決め込んだ仲間たちとともに、ソウルミュージックのダンスやパーティー、ドラッグ、スクーター、ロックなどに夢中になっている。

物語のクライマックスは、対立するロッカーズとの大乱闘だ。1964年5月にイギリス南東部のビーチリゾート地ブライトンで実際に起こったこの事件は、当時の社会を大いに賑わせ、良識ある大人はロッカーズもモッズもまとめてチンピラ扱いするようになった。

Film (C) 1979 Who Films, Inc. All Rights Reserved.

『さらば青春の光』Blu-ray:1,886円/DVD:1,429円(いずれも税抜)発売中
発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント

テディボーイズが合流し、
一大勢力となったロッカーズ。

ロッカーズのルーツは、1950年代前半にアメリカのカリフォルニアに登場したバイカーズと呼ばれる集団である。第二次世界大戦の帰還兵である彼らは、アメリカの戦後社会になじめず、ダブル襟のライダースにロールアップしたジーンズ、エンジニアブーツ、Tシャツという強面スタイルで決め込み、爆撃機に見立てた大型バイクにまたがって街を爆走した。

彼らを題材にしたマーロン・ブランド主演の映画『ザ・ワイルド・ワン』が1953年に公開されると、バイカーズはアメリカ全土に広まる。そして1950年代後半からは、イギリスにも同様のバイク集団が登場した。それがロッカーズだ。

ロッカーズはバイカーズのスタイルを模倣しつつも、ライダースをスタッズやワッペンでカスタムしたり、バイカーズより細身のストレートジーンズやブラックデニムを履いたりするなど独自のスタイルを築く。

そして改造した自慢のバイクに乗ってカフェに集まり、首元に白いストールをなびかせながら市街地で違法なレースを繰り返すようになる。

ロッカーズよりも前にイギリスで流行していたユースカルチャーに、テディボーイズというものがある。ベルベットの襟と袖がついた着丈の長いドレープジャケットにスリムなズボンを合わせ、髪をポンパドールやリーゼントで固め、足にラバーソールを履くというスタイルだ。

アメリカからやってきたロックンロールの流行とも呼応し、ロンドンの下町や郊外を中心に増殖したテディボーイズの多くは、1960年代になるとロッカーズに合流した。こうしてロッカーズは膨れ上がり、1960年代前半には若者の一大勢力になった。

Photo by Evening Standard/Hulton Archive/Getty Images テディボーイズ

ユニークなカルチャーを
次々と生み出す、モッズ。

一方のモッズは、1950年代中頃〜後半のアメリカにおけるアイビーの流行に刺激を受けて誕生した、ロンドンのおしゃれ集団である。超細身の3つボタンスーツやボタンダウンシャツが基本スタイルで、モダンジャズやモータウンのソウルミュージックを愛好した。

現代ではモッズコートと称される、米軍払い下げのミリタリーコートM—51を羽織り、ミラーやホーンで過剰に装飾したスクーターに乗り回すなど、ユニークなカルチャーを次々と生み出していった。

アメリカ陸軍の野戦用コートM-51 正式名称はPARKA SHELL M-1951

1960年代前半にはイギリス中の若者がモッズになったのではないかと思われるほどの大流行となったが、前述のブライトン事件の頃を境に、いくつかの派閥へと分裂していく。

派閥のひとつは、ローギアと呼ばれる者たち。FRED PERRY(フレッドペリー)のポロシャツやLONSDALE(ロンズデール)のTシャツなどのスポーツウェアを上手くファッションに取り込んだ、カジュアルな集団だ。

FRED PERRYのポロシャツ

一方、オーダーメイドのスーツを至上のものとする派閥ハイギアは、モッズの持つ華やかさをより発展させる。1960年代中頃〜後半にかけ、カーナビー・ストリートを中心に「スウィンギングロンドン」と呼ばれるポップでごちゃ混ぜなファッションカルチャーを形成し、世界中から注目されるようになる。

初期モッズの持つ鋭敏さや粗野な面を追求したワーキングクラスのロウギア系は、ハードモッズと呼ばれる期間を経て、坊主頭にBen Sherman(ベン・シャーマン)のボタンダウンシャツやフレッドペリーのポロシャツ、ハリントンジャケットともいわれるBARACUTA(バラクータ)のG9、Levi’s(リーバイス)の501やスタプレストをサスペンダーで吊り下げ、Dr. Martines(ドクターマーチン)のブーツを履くスキンヘッズへと進化していく。

ハリントンジャケットともいわれるBARACUTAのG9

Levi’sのノーアイロンスラックス スタプレスト

Dr. Martinesのブーツ

スポーツウェアを着こなし、
カルチャーを牽引したカジュアルズ。

モッズムーブメント終了後の1970年代前半、イングランド北部の町であるマンチェスター界隈では、かつてのモッズが持っていた音楽とファッションのセンスを見直し、復活させる動きが始まり、ソウルボーイズと呼ばれるカルチャーが誕生する。

レアなソウルミュージックに合わせ、ダンスホールで派手なステップのダンスを決めることを好んだ彼らのいでたちは、動きやすいように極端な幅広バギーパンツやadidas(アディダス)などのスポーツウェアを合わせるスタイルだった。

バギーパンツ

1970年代後半になると、ソウルボーイズはより幅広い音楽的嗜好を持ったペリーボーイズへと変質する。

FRED PERRYやFILA(フィラ)などのスポーツウェアを着こなした彼らは、80年代になるとカジュアルズと呼ばれるようになり、遊び場もクラブやダンスホールからサッカー場へと変わっていく。

FRED PERRYのトラックジャケット

前述のブランドに加え、le coq sportif(ルコックスポルティフ)やumbro(アンブロ)、ellesse(エレッセ)などイギリス、フランス、イタリアのスポーツウェアとスニーカーが彼らのワードローブだった。

le coq sportifのトラックスーツ

ワーキングクラス出身者が大半を占めたカジュアルズは、小ぎれいなスポーツウェアを着こなしていたが、一皮むけばスキンヘッズと同様、フーリガン的な荒っぽさを持っていた。そして、1980年代中頃から後半にサッカー場で起きた悲劇的な群衆事故をきっかけに、必然的に衰退していく。

だが、1980年代後半にイビザ島とロンドンで巻き起こったダンスカルチャーのレイヴァー、およびマンチェスターで盛り上がったロックカルチャーのマッドチェスターの核にいたのは、彼らカジュアルズの末裔である。

スポーツウェアを愛好するイングランド北部の不良集団は、現代ではチャヴと呼ばれるストリートギャングになっている。

音楽と結びついて変遷する、
パンクとロックスタースタイル。

ロックシーンからの影響をもろに反映したストリートスタイルは、突発的に出現し、既存のストリートカルチャーからも影響を受けつつ発展した。

1970年代前半の、ビートルズなき後のロックシーンに降臨したT・レックスのマーク・ボラン、そしてデヴィッド・ボウイの人気爆発によって広まったグラムは、ラメやスパンコールで彩られた衣装を着込み、派手なメイクをしてヒールが異常に高いロンドンブーツを履く、日常とはかけ離れたロックスター然としたスタイルだった。だが、当時のロンドンの若者は果敢に真似をした。

グラム登場のきっかけは、その前の時代に世界中の若者を虜にしたヒッピーへの反動だったとも言われている。ナチュラル志向のヒッピーに飽き飽きした若者は、人工的でけばけばしい文化を求めたというのだ。

パンクは、1970年代中期、アメリカ・ニューヨークのアンダーグラウンドで盛り上がっていたムーブメントをロンドンに輸入した結果、ブレイクしたカルチャーである。

セックス・ピストルズやザ・ダムド、ザ・クラッシュといったパンクバンドが若者から大きな支持を集め、ファッション面はパンクの仕掛人として知られるマルコム・マクラーレンとパートナーであったヴィヴィアン・ウエストウッドが牽引した。

マルコムは、プロデュースを手掛けたセックス・ピストルズに、最初はニューヨークパンクスの一人であるリチャード・ヘルのファッションを模倣させた。

黒の革ジャン、安全ピンで止めたズタボロのTシャツ、逆立てたぼさぼさのショートヘアといったスタイルである。そして自分の経営するブティックの服を彼らにあてがい、カリスマに仕立てていく。

Photo by Daily Mirror / Bill Kennedy/Mirrorpix/Mirrorpix via Getty Images
マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッド

ロンドンのパンクムーブメントは一気に燃え上がり、ファッションも多様なものになっていくが、マルコムとヴィヴィアンの店のオリジナルブランドであるSEDITIONARIES(セディショナリーズ)の服が、パンクの象徴的なスタイルになっていく。ストラップとジッパーを多用したボンデージパンツやパラシュートシャツ、モヘアニット、ベルベット襟のテッズ風ジャケット、ガーゼシャツ、そしてラバーソールなどである。

SEDITIONARIESのボンデージベスト

その他にも、パンクスは様々なアイテムを使ったが、それらの多くはテディボーイズやロッカーズ、モッズ、スキンヘッズなど、イギリスで過去に起こった様々なストリートカルチャーをごちゃ混ぜにして、再構築したようなものだった。パンクはメルティングポットのようなカルチャーだと言われる所以である。

精神性を尊重しながらもファッションを楽しむ
“ストリート・トラッド”。

パンクによって一旦リセットされたイギリスの音楽&ストリートファッションシーンは、すぐにニューウェーブという形で再生し、そこからニューロマンティクスが生まれる。一時代前のグラムに近い、仰々しいスタイルだ。

特に海賊ルックや中世の衣装の焼き直しのような特徴的な服は、ポストパンク時代にも人気が継続したヴィヴィアン・ウエストウッドによって提唱されたものが多い。

さらにそこから、暗い美学を追求したゴススタイルが派生し、現代まで続くゴスロリへと発展していくのである。

ライダースは1950年代のロッカーズがおしゃれに取り入れて以来、60年以上が経過した現在でも、ちょっと悪くてセクシー&ロックっぽいスタイルとして、若者から大人まで多くの人が着こなしている。

同様に1960年代前半のモッズが見つけたM-51=モッズコートや1960年代後半にスキンヘッズが好んだドクターマーチンブーツも、現代の感覚にマッチするアイテムとして人気が高い。

さらに、1970年代〜80年代のペリーボーイズやカジュアルズによって確立された、街で堂々とスポーツウェアを着こなすスタイルは、現在のアスレジャースタイルの源流と言ってもいいだろう。

本来はアンチファッションとして生まれたスタイルのアーカイブを、内に秘められた精神性を尊重しつつもあまり難しく考えず、純粋にファッションとして楽しむ姿勢、それこそが“ストリート・トラッド”と呼ぶべきものなのである。

Text by Seijiro Sato

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