CULTURE
UK Vol.03

イギリス生まれの風変わりなゴム底シューズが、若者から支持された理由

かつて、レザー製の紳士靴といえば、ソールも革製であることが当たり前だった。ゴム底の靴もあるにはあったが、それは労働者用か軍用、あるいはアウトドア用であり、ファッションとは無縁の実用品だった。

オーセンティックなドレススタイルを好む正統派のイギリス紳士から見ると、到底おしゃれとは思えない代物だったはずだ。しかし、常識にとらわれないアンチファッションを標榜するストリートの若者たちは、ワードローブとしてあえてゴム底の靴を選んだ。そして時代を超えて受け継がれ、やがて“ストリート・トラッド”となっていった。

街中にたむろする若者たちから自然発生的に生まれたストリートスタイルを、時代を追って詳細に解説した書籍『ストリート・トラッド〜メンズファッションは温故知新』の著者であり、雑誌『smart』の元編集長である佐藤誠二朗氏が、UKストリートスタイルと関連深いシューズの中から、歴史が長く、現代でも多くの愛用者がいる三種のユニークなゴム底シューズに若者たちが惹かれていった歴史を辿る。

機能性に加え、あまりにも奇怪な見た目が
テディボーイズの目に留まったラバーソール

第一は「ラバーソール」。ゴム製の分厚いクレープソールが施された、UKストリートスタイルを象徴するロック色の強いあの靴だ。実はラバーソールというのは和製英語で、本来は「ブローセル・クリーパーズ」という。brothelは「売春宿」creeperは「這う人」、つまり “売春街をこっそり歩く人”という商品名である。開発されたのは今から70年近くも前なので時代性は勘案しなければならないが、それにしてもあまりにブラックなネーミングである。

開発したのは、イギリスの靴メーカー、〈GEORGE COX ジョージコックス〉だ。1906年にイギリスの靴製造業の聖地であるノーザンプトンで、ジョージ・ジェイムズ・コックスによって設立された同社は、1949年、ドレスシューズに世界で初めてゴム底を採用したブローセル・クリーパーズ(ラバーソール)を作り出した。

それまでの革底では味わえなかったソフトな歩き心地のため、発売当初こそ注目されたラバーソールだったが、あまりに風変わりな靴だったためイロモノ扱いされ、人気は短期間で収束していくかに見えた。ところが1950年代に入ると、ロンドンの不良少年集団であるテディボーイズが、こぞってラバーソールを履くようになる。

彼らがラバーソールを愛用した理由は、見た目の奇抜さに加え、革底の靴と比べて圧倒的に足音が響きにくかったからだという。つまり、夜の闇に紛れて何か悪さをしようというとき、有利な靴だったのだ。

1950年代のテディボーイズに愛されたラバーソールは、1970年代前半にリバイバルしたネオテッズ(ネオテディボーイズ)に引き継がれ、70年代後半には当時隆盛を誇ったパンクスにも支持される。パンクとラバーソールを結びつけたのは、パンクムーブメントの仕掛け人であるマルコム・マクラーレンだ。

1970年代前半、マルコムはパートナーであるヴィヴィアン・ウエストウッドとともに、ロンドンのキングスロードで「レット・イット・ロック」という名のブティックを経営していた。そこは折から増殖していたネオテッズを顧客とした店で、ジョージコックスのラバーソールは売れ筋商品のひとつだった。

マルコムとヴィヴィアンの店は、コンセプトも品揃えも店名も幾度となく変え、1970年代後半にはパンクカルチャーの中心地となっていくのだが、その間もずっと、ラバーソールは看板商品であり続けた。セックス・ピストルズを始め、ザ・ダムド、ストラングラーズなど初期パンクバンドのメンバーたちは、ラバーソールを最新鋭のパンクファッションへと転化させ、彼らを支持するストリートのパンクスたちにも広がっていった。

1980年代になると、パンクに影響された「ロカビリー=ネオロカビリー」のムーブメントが始まり、火付け役であったアメリカのストレイ・キャッツが世界的人気バンドとなる。ストレイ・キャッツのリーダー、ブライアン・セッツァーをはじめ、1950年代のロックンロールスタイルを踏襲した彼らの足元には、当然のごとくラバーソールが履かれていた。

Photo by Ebet Roberts/Redferns
ストレイ・キャッツ 右端がブライアン・セッツァー

同時期、ニューウェーブと呼ばれたポストパンクの動きの中で、ニューロマンティクスやゴスを支持した者にも、ラバーソール愛用者は多かった。こうしてジャンルの枠を超えてラバーソールの人気は広がり続け、世界中の若者に“ロックな靴”として認知されるようになっていくのだ。

日本では1980年代中期のインディーズブームからバンドブームの頃に市民権を得た後、1990年代前半に世界的流行となったグランジスタイルや、90年台中期のメロコアスタイル、90年代後半の裏原宿スタイルでも取り入れられ、スタンダードの地位をゆるぎないものにしている。

労働者のための作業靴ドクターマーチンを
おしゃれに取り入れたスキンヘッズ

UKストリートスタイルを象徴する靴として、次に言及するべきは〈Dr.Martens ドクターマーチン〉のレースアップブーツであろう。第二次世界大戦後間もなく、ドイツ人医師のクラウス・マルテンが開発した、バウンシングソールと呼ばれるエアークッションのきいた靴底を施したワークブーツである。

ドイツ軍の従軍医師であったクラウス・マルテンは、1945年、休暇中のスキーで負傷した足の治療中、痛みを和らげる靴を作れないかと考えた。軍支給のブーツでは、歩行時にどうしても痛みが走ってしまうからだ。そして友人のフンクとともに、古タイヤを加工して空気を封入したエアークッションソールを開発する。

ソールのイギリスでの製造権を獲得した作業用と軍用の靴メーカー、R.グリックス社は1960年、ドクターマーチンソールを施した最初のワークブーツを完成させ、「1460」のコードをつけて販売した。当初は郵便配達人や警察官、工場労働者などに向けた実用本位の作業靴だったのだが、1960年代後半、モッズから発展したワーキングクラス層の若者集団スキンヘッズが、反体制・アンチファッションの一つの表現として用いるようになる。

Photo by KEYSTONE-FRANCE/Gamma-Rapho via Getty Images
モッズから発展したスキンヘッズ

スキンヘッズは、労働者階級というアイデンティティを誇示するため、モッズスタイルをベースにワークアイテムをミックスし、独自のスタイルを形成していった集団だ。本来は牧場労働者が使うランチコートや、炭鉱や港湾労働者の服であるドンキージャケット、土木作業者が使うサスペンダーなど、ワードローブの多くはワークウェアであった。最たる特徴である坊主頭もまた、肉体作業者の象徴なのだ。そんな彼らが最も愛したアイテムこそが、ドクターマーチンのワークブーツだった。

スキンヘッズの前身であるハードモッズや初期スキンヘッズには、黒革のものやロングタイプも履かれたが、やがてチェリーレッド(赤茶色)の8ホール(紐を通す穴が片側8つずつ)、最初期型の「1460」が最もクールだと認識されるようになる。スキンヘッズ流の履き方は、シューレースをクロスさせず横一文字で思い切りきつく締め、左右の外羽根がぴったりくっつくようにすることだった。

〈ドクターマーチン〉8ホールのチェリーレッド「1460

スキンヘッズは1960年代後半に隆盛を誇ったが、やがてその粗暴な振る舞いで世間から白眼視されるようになり数を減らしていく。しかし1970年代後半、パンクムーブメントとともに復活し、ネオスキンヘッズと呼ばれる改良型スタイルを生み出す。ネオスキンヘッズの間でドクターマーチンブーツは変わらず支持されたが、オリジナルが愛したチェリーレッドの8ホールではなく、黒革の10ホールかそれ以上の長いタイプを好むようになった。

1970年台中頃〜後半のロンドンパンク、そして1980年代前半のハードコアパンクス、また1990年代のメロコア勢の中にも、ドクターマーチンブーツの愛用者は多かった。パンク自体が過去の様々なUKストリートスタイルをごちゃ混ぜにして再構築したようなカルチャーであるため、テディボーイズから拝借したラバーソールとともに、スキンヘッズ由来のドクターマーチンも愛されたのだ。

馬鹿にしていたビートルズのスタイルから
モッズが取り入れたチェルシーブーツ

ドクターマーチンのブーツはレースアップタイプだけではなく、ラインナップには「サイドゴア」タイプもある。ドクターマーチンのサイドゴアブーツは1970年代初頭にリリースされ、1970年代後半のツートーンやネオモッズ、1990年代前半のニューモッズ、90年代中期以降のブリットポップなど、モッズ由来の様々なUKストリートスタイルに欠かせないアイテムとなった。しかし、サイドゴアブーツの歴史はもっと古い。

もともとは1830年代中頃、ロンドンの靴職人が即位したばかりのヴィクトリア女王のために、脱ぎ履きしやすくフィット感の得やすい靴として作り、献上したもの。当時、両サイドに伸縮性のあるゴムが施された靴は、非常に革命的だったという。ところが、ヴィクトリア女王よりもこのブーツに関心を抱いたのは、洒落者として知られる夫のアルバート公だった。アルバート公は、ブーツのデザインを紳士靴に落とし込み、現在のサイドゴアブーツのスタイルが完成した。

こうした歴史のあるブーツが、1960年代前半、全盛期のモッズの間で人気となり、「CHELSEA BOOT チェルシーブーツ」と呼ばれるようになっていく。ロンドンのチェルシー地区に生息するモッズが履き始めたことからこの名になったのだが、モッズが履きはじめたきっかけは、ビートルズの影響だったと推測されている。

1962年、当時の流行最先端であったモッズスタイルでデビューしたビートルズは、揃いのタイトなスーツにチェルシーブーツを合わせた出で立ちだったが、ロンドンのストリートに生息したモッズの多くは、ビートルズを仲間とは認めなかった。前身となったバンド、ザ・クオリーメン時代は革ジャンにリーゼントでロックンロールやスキッフルを演奏するロッカーズだったし、第一、リバプール出身の田舎者だと見くびっていたのだ。

ところが、ビートルズはあっという間に世界を席巻する人気者になってしまった。ストリートのモッズたちは、表向きにはビートルズを馬鹿にしつつも、彼らのスタイルを意識せざるを得なかったのだろう。

Photo by Andy Wright/Getty Images
チェルシーブーツを履いた最初期のビートルズ

この頃のモッズは、老舗メーカーが作る革底のチェルシーブーツを履いていた。だが、スウィンギングロンドンやスキンヘッズの流行を経て、1970年代初頭にリリースされたドクターマーチン製のチェルシーブーツは、洗練されたスタイルと手頃な価格によって注目され、以降、モッズの子孫たちの定番になっていったのだ。

クラークスのデザートブーツは
モッズのダンスシューズだった

チェルシーブーツが流行る前から、モッズの定番になっていた靴がある。〈Clarks クラークス〉の「Desert Boot デザートブーツ」だ。1964年ごろのモッズの生態を描いた『さらば青春の光』は、ファッションを含めたモッズカルチャーの教科書のような映画だが、多くの若者たちがクレープソールのデザートブーツを履いていることを確認できる。

デザートブーツは、クラークス社がチャッカブーツを元にして1950年に開発した靴である。ネーミングについては、第一次世界大戦中に英国陸軍が砂漠(desert)行軍用にデザインした軍靴をベースにしたからだという説と、素材の革の色が砂漠を連想させるものだったからだという二つの説がある。アッパーはスエードやベロアの一枚革で作られ、歩きやすさを考慮してゴム製のクレープソールを施された、アンクル丈のショートブーツだ。

1950年代後半に登場した最初期のモッズは、オーダーメイドで誂えたウィンクルピッカーシューズ(つま先のとがったレザーシューズ)や、革底のチャッカブーツを履くことが多かった。だが、モッズが増殖して集団を作った1960年代になると、デザートブーツを履く者が増えていった。理由は彼らの行動にある。

全盛期のモッズは、夜な夜なスクーターに乗ってクラブやカフェバーに集まり、好みのソウルミュージックに合わせて、次々と新しいダンスステップを編み出すようになっていた。この時、柔らかい革のアッパーを持ち、滑りにくいゴム製のソールを施されたデザートブーツは踊りやすかったのだ。つまり、モッズにとってデザートブーツは、一種のダンスシューズとして選択されていたことになる。

時代、スタイルを超えて支持された
ゴム底レザーシューズ

ラバーソール、ドクターマーチンブーツ、デザートブーツという三種のユニークなゴム底靴の歴史を見てきた。いずれも登場した当時、画期的ではあるものの非常に風変わりであったため、正統派のお眼鏡にかなうものではなく、普通なら時代の徒花として短期間で消え去る命運であっただろう。

しかし、テディボーイズ、モッズ、パンクス、スキンヘッズといったストリートの若者集団が、大人が作った社会規範へ反抗するためのアンチファッションとして、敢えて選んだために流行となり、やがて定番シューズへと育っていった。

今日のストリートにも、これらの靴は違和感なく溶け込んでいる。今、ラバーソールやドクターマーチン、デザートブーツを履いている人が、かつての若者の反逆の精神に想いを寄せていることはないだろう。もはや各アイテムが内包していた精神性は薄れ、単純にデザイン性やファッション性を楽しむとともに、長い歴史の裏打ちによる信頼感によって選択しているはずだ。

意外にも伝統を重視するストリートスタイルは、先人が持っていた精神性とは切り離し、伝承されたスタイルに価値を見出すものだ。定番となったストリートウェアを身にまとい、アーカイブとしてのおしゃれを楽しむことは、まさに“ストリート・トラッド”の真意なのである。

Text by Seijiro Sato

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