FASHION

ヴィンテージデニムへの憧れが生んだジャパンデニム。

今ドキのユース世代がデニムパンツを買い求めようとする際、その選択肢としてまず挙がるのは〈UNIQLO ユニクロ〉だという。確かに5,000円以内で高品質のセルビッジデニムが手に入るのだから、それも仕方がないハナシ…ではある。事実、日本人のみならず海外からの観光客もこぞって買い求めていくと考えれば、日本製デニムに対する信頼の厚さが窺い知れる。

さて、ここで先ほど話に挙がった「セルビッジ」に注目。今や少しでもファッションに興味のある人間なら、本格的なデニムパンツには欠かせない要素のひとつと誰もが知っているこのワード。しかし『knowbrand magazine』の読者諸氏が幼少期を過ごしたであろう1980年代初頭では、まだまだ一般的でなかったということをご存知だろうか?では、いつから使われるようになったのか。

今回のテーマは、日本が世界に誇る「JAPAN DENIM ジャパンデニム」について。

アメリカへの憧れ、ヴィンテージブームの到来
ジャパンデニム誕生の夜明け。

そもそも1960年代には〈BIG-JHON ビッグジョン〉や〈EDWIN エドウイン〉をはじめとした国産デニムブランドがしっかり存在していた。しかし、それらは時代の流れとともにアメリカの労働者らが履いていたタフなワークウェア、そして「自由で格好いいアメリカの象徴」としてのデニムパンツを求めていた若者たちを満足させるものではなくなっていた。

そこで本物のデニムパンツを求める人々は、アメリカから掘り出されてくる古着に着目するようになる。その結果、ヴィンテージ古着の需要が急増。田舎町の今にも潰れそうな雑貨店の片隅で埃をかぶって眠るデニムパンツを目掛けて、日本の古着バイヤーたちは新大陸に大挙して押し寄せることとなる。時同じくして、日本が戦後最大の好景気・バブル期に突入。これにより「古着は安いだけのモノ」という認識から「今では手に入らない歴史的価値のあるお宝」へと変貌を遂げる。そして1980年代後半には本格的なヴィンテージブームが到来。さらに、当時はまだライフスタイル誌だった『Boon』が誌面でその魅力を紹介し、更に拍車が掛かるヴィンテージ熱。需要の急増によって、その代表的アイテムであるデニムの価格も青天井に高騰化。こうして気兼ねなく身に纏えるハズの労働着は、もはや庶民では手が出ないモノとなってしまった。

しかし、そうなると現れるのが「ヴィンテージのアメリカ産モデル特有の特徴を忠実に再現した、新しいデニムパンツを作りたい」という想いを携えた人々。こうして、ヴィンテージの風合いをデザインから素地まで完全に再現した、リプロダクトデニム=ジャパンデニムが世に誕生するのである。

仏経由の大阪生まれ、リプロダクトデニムの先駆者。
〈STUDIO D’ARTISAN ステュディオ・ダ・ルチザン〉

このジャパンデニムのムーブメントは西の都・大阪から始まった。その先駆者的ブランドが、1979年にパリで修行を積んだ初代デザイナー・田垣繁晴が「ヨーロッパ的クラフトマンシップ」と「日本の職人精神」を合わせ持つデニムを目指して設立した〈STUDIO D’ARTISAN ステュディオ・ダ・ルチザン〉。

〈STUDIO D’ARTISAN〉の「SD-D01」

初代モデルとして1986年に登場した「SD-D01」こそ、世界初となるヴィンテージ仕様の国産セルビッジデニム。日本伝統のインディゴ染色技法「蓼正藍」による「カセ染め」のムラ糸で織り上げたデニム生地を使い、1950年代以前のディテールを独自の解釈でフレンチワークパンツのシルエットに融合。そのデザインは洗練ささえ感じさせる。

ちなみに背面ウエスト部のベルトパーツは、フィッティング調整用に備えられたヴィンテージの代表的ディテール「シンチバック」。このように、古き良きヴィンテージウェアに最大の敬意とオマージュを捧げながら、独自のエッセンスや解釈を加えて新たな価値を創造するのが、同ブランドのモノ作りの姿勢。「職人工房」の名は伊達じゃない。

ウエストベルト位置に取り付けえられたヴィンテージディテールのシンチバック

日本人から見たアメリカン・クラシックを目指して。
〈EVISU エヴィス〉

ステュディオ・ダ・ルチザンがアメリカのヴィンテージへの憧憬を、ヨーロッパ風味というフィルターを通して表現していたのに対し、よりアメリカン・クラシックを追求したのが〈EVISU エヴィス〉。デザイナー山根英彦により1991年に誕生。その名前は〈Levi’s リーバイス〉からLを取って、商いの神・夷(エビス)様にかけた関西人らしいユーモアが効いたもの。

ここでは「501」の大戦モデルを研究して誕生した同ブランドの金字塔的モデル「Lot.2000」を例に、そのコダワリを紐解いていく。

〈EVISU〉の「Lot.2000」

シルエットはベルトで締めることを想定したルーズなウエスト、テーパードレッグが特徴。バックポケットにはリーバイスの象徴である「アーキュエイトステッチ」をなぞった、通称「カモメアーチ」をペイント。「日本人から見たアメリカ」という感覚を映し出しつつも、本物以上のヴィンテージ感を放っている。今回はその部分をより深く知ってもらうため、かなり穿き込まれたモデルを用意。

まずは何より、その見事な「エイジング」具合にフォーカス。これには生地表面の凹凸が深く関係する。デニムは本来、洗うこともないままリジッド状態から穿き込んでいっていた労働服。座ったり、足を曲げたりすることで形成されるシワが一定の位置で固定され、擦れた部分のみが色抜けすることで残った部分の色が際立つ。これが「アタリ」と呼ばれるもの。こうして太もも股下辺りに見られる白っぽくなった横ジワを「ヒゲ」、膝裏に生まれる蜂の巣状のシワを「ハチノス」と称す。

太もも・股下辺りが擦れて色抜けした横ジワは「ヒゲ」と呼ばれる。

膝裏に蜂の巣状に刻まれた色落ちのシワは「ハチノス」と呼ばれる。

また、しっかり洗うことで生地自体が縮み、凸部分と凹部分のテンションの差が大きくなる。すると明暗やメリハリがつき、生地表面に独特の色落ちが表れる。これがヴィンテージデニム愛好家が愛してやまない「タテ落ち」。そして最重要なのが脇部分の「セルビッジ」。アメリカの繊維工場が使っていた旧式の繊機で生地の端のホツレをなくすために付けられた部分で、いわゆる「耳」。1983年以前にアメリカで作られたコーンミルズのデニムは、このセルビッジに赤の細いラインが入っていた。これこそが「赤耳」と呼ばれるヴィンテージ501の代表的ディテール。他には裾の「チェーンステッチ」やポケットの「隠しリベット」なども同様。これらはデニムを語る際の基本知識なので、今一度しっかり覚えておきたい。

メリハリのある独特の風合いが魅力の「タテ落ち」。

内側からしか確認できないバックポケットを補強する「隠しリベット」もヴィンテージディテールのひとつ。

旧式の繊機が生む「セルビッチ」により、パンツ表面の脇に「アタリ」と呼ばれる見事な色落ち。裾は内側が鎖状に縫われる「チェーンステッチ」。

デニム本来の良さを求め、モノとして価値を再構築。
〈FULL COUNT フルカウント〉

さて、そんなエヴィスとも縁深いのが〈FULL COUNT フルカウント〉である。創業者の辻田幹晴は、先述した山根英彦と志を共にするパートナーだったが、リプロダクトを超えた独自性を打ち出すようにシフトしていった山根の方針に異を唱え、1993年に独立。

より「純粋な」ヴィンテージデニムを標榜し、貴重なヴィンテージデニムを解体して、糸の1本から生地の分析に縫製の仕組みまでを徹底研究する。その結果、1995年にようやく納得の1本が創り上がる。それがこの「0105」。同ブランドのデニムにおける共通項が、最高級のジンバブエコットンで織り上げた13.7オンスのデニム生地を使用している点。繊維が非常に長いため、甘く撚ったムラ糸を作ることが可能となり、柔らかく身体に馴染むような伸縮性と汗によるストレスを解消する高い吸水性を獲得。優れた穿き心地は着用率を引き上げ、結果的に自然と美しい色落ちへと繋がる。

〈FULL COUNT〉の「0105」

風が吹けば桶屋が儲かるの寸法ではないが、要は「実用性とファッション性を兼ね備えていれば長く愛用出来る」ということ。デニム本来の良さを求め「モノ」としての価値を再構築しているブランドといえよう。

ヴィンテージに忠実に、限りなきディテールの追求。
〈WARE HOUSE ウエアハウス〉

エヴィスから派生したブランドといえばもう1つ。スタッフとして在籍していた塩谷健一・康ニ兄弟によって1991年に創業された〈WARE HOUSE ウエアハウス〉を忘れてはならない。一貫して「ヴィンテージの忠実なる復刻」をテーマに追い続けている同ブランド。生産された時代背景を考察し、生地から縫製まで糸1本からこだわり、パーツも1から作り上げるという徹底した姿勢は、国内外の有名セレクトショップも絶賛。

その物的証拠として挙げるなら、誕生から20年の歴史を誇るウエアハウスのフラッグシップモデル「1001XX」が適任だろう。1930年代のデニムバナーを解体・研究して作り上げたデニム生地を採用し、縫製においてもヴィンテージの忠実なる再現というブランドテーマを徹底的に遵守。

〈WARE HOUSE〉の「1001XX」

ウエスト周りにややゆとりを持たせ、裾にかけてテーパードしていくシルエット、碧と白のコントラストが美しいタテ落ち。ヴィンテージデニムが何故、かくも多くの人々に愛されているのか。その答えをこの1本に詰まっていると言っても過言ではない。

ここまでで挙げた4ブランドに、リーバイスに魅せられたデザイナー・林 芳亨が1988年に神戸でスタートさせた〈Denieme ドゥニーム〉を加えた関西を拠点とする5つのブランドを、デニムアディクトたちは「大阪ファイブ」と呼ぶ。国内外で確固たる地位を築いているジャパンデニムの中核的存在として、この機会に覚えておいても損はないだろう。

〈Denieme〉の「901」

身に付けるほどに変化していく、藍の青さを楽しむ。
〈BLUE BLUE ブルー・ブルー〉

大阪で産声を上げたジャパンデニムのムーブメントは、80年代後半になると東京をはじめとした日本各地へと伝播していく。90年代に青春を謳歌していた世代なら、誰しもが1度は足を運んだであろうセレクトショップ〈HOLLYWOOD RANCH MARKET ハリウッドランチマーケット〉のオリジナルデニムブランドとして誕生した〈BLUE BLUE ブルー・ブルー〉もそのひとつ。

ブルー・ブルーのフラッグシップストアの1号店が東京・中目黒にオープンしたのは2010年だが、80年代後半には「糸から染めに至るまですべてに自分たちの理想を追求した」ヴィンテージテイストのオリジナルデニムを発表していたので、その歴史は古い。

現在では、デイリーに使えるレギュラータイプや今ドキなスキニータイプまで種類豊富に揃っており、その中にあってブランド誕生当初の雰囲気を伝えるのが「PP5XX」のように力織機で織られた本格派のXXタイプ。生地には本藍やインディゴで染められた国産14.8オンスのセルビッジデニムを使用。

〈BLUE BLUE〉の「PP5XX」

ラインアップ中、もっともスタンダードなストレートシルエットなので穿く人間を選ばず、どこか日本的な匂いも感じさせるため我われ日本人にもよく馴染む。さすが四半世紀に渡ってアメリカのスタンダードなウェアを発信し続け、老若男女に支持されてきた老舗だけあり、その懐の深さは侮れない。

飽くなき探究心をもって、進化を続ける老舗の矜持。
〈SUGAR CANE シュガーケーン〉

今回取り挙げるブランド中、1番の歴史の長さを誇るのが〈SUGAR CANE シュガーケーン〉。1965年に日本の米軍基地関係者を対象として設立された〈東洋エンタープライズ株式会社〉を生みの親に持ち、日本に誕生した初めてのアメリカ向けアパレルメーカーとしても知られる。その後の1975年にベトナム戦争が終結すると、対象を国内向けにシフト。その際に、米軍基地に駐屯していた将校によって付けられた名は、英語で砂糖黍(サトウキビ)を意味するシュガーケーン。

現在までデニムを中心に数多くの定番アイテムをテーマごとに展開してきたが、競合各ブランドと一線を画すのが、その飽くなき探究心。

「FIBER DENIM LONE STAR JEANS“10YEAR AGED”SC40901R ファイバーデニム ロンスター ジーンズ “10イヤー エイジド”SC40901R」などはまさに代表例。

〈SUGAR CANE〉の「FIBER DENIM LONE STAR JEANS“10YEAR AGED”SC40901R」

砂糖を精製したあとに残る砂糖黍の繊維質「バガス」を、コットンと混紡して織り上げた「砂糖黍デニム」が最大の特徴。さらにリペアを施しながら10年間着用したというイメージのもと、経年変化を表現した「エイジング」加工とダメージを修復した跡を表現した「リペア」加工をプラス。デニムパンツというアメリカの象徴に和のテイストを取り入れ、なおかつあえて加工の個体差を容認することで、リプロダクトの枠には収まりきらない本物としての存在感を発揮している。

古き良き時代のアメリカへの憧憬から誕生したジャパンデニムたち。今では国内を飛び出し、海外においてもハイエンドなアイテムとして本家たちをも凌駕する高い評価を獲得するまでに至っている。小さな島国のヴィンテージデニム・アディクトらの間でしか使われていなかった専門用語が「tateochi」など、日本語のまま世界中に広がっているのが、その何よりの証拠ではないだろうか。

偉大なる先人たちが「苦心しながら試行錯誤して紡いできた技術」という縦糸と「本物以上の本物を目指した熱意」という横糸で織り上げられた日本生まれのデニムが、この青き惑星を碧く塗り変える日もそう遠くはないのかもしれない。

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