時計業界に衝撃をもたらした〈セイコー〉が生み出した「クォーツ」時計とは?その誕生の経緯を紐解く。
それが、1969年のクォーツ式腕時計の誕生だ。それから数年に及ぶ大規模な変革期は後 世「クォーツショック」と呼ばれ、時計史を語るに欠かせない存在となっている。
そのとき、何が起こったのか。 当時の流れを検証することで、腕時計の魅力の再発見につながるはずだ。
精度を追い求めた時計の歴史。
今日、時計の駆動方式は「機械式」と「クォーツ式」に大別できる。
機械式は、歯車やバネなど複雑な部品を組み合わせたものだ。自然とほつれていくぜんまいばねを動力源に、振り子などの振動を持続させる脱進機で往復運動に変え、一定速度で 歯車を回転させていくことで時計の針を動かしていく。
クォーツ式は水晶を利用し、交流電圧をかけると一定の周期で規則的に振動するという性質を時刻表示に応用している。
最初に発明されたのは、機械式のほうだ。
15世紀頃からぜんまいを動力とする機構が発明され、技術や科学の発展とともに精度が向上していった。18世紀からはスイスを中心に時計産業が大きく成長し、置き時計のほか懐中時計も誕生。高度な技術と長い製作時間が必要であることから、しばらくは英国貴族など特権階級の贅沢品として認知されるようになる。
19世紀に入るとアメリカで大規模な生産システムが誕生し、量産化が加速。南北戦争をはじめとする軍需や、全米へと拡大していった大陸横断鉄道の安全運行を目的に、懐中時 計を活用する人々の数は増えていった。そして第一次世界大戦を経て、いちいち懐から取り出す手間のかからない腕時計が注目されるようになり、やがて大衆化を果たしていく。
こうして腕時計の存在が広く認められるようになると同時に、各メーカーは仕組みの改良や素材開発を経て精度の向上に努めてきた。信頼性を担保するため、第三者の公的機関が精度を検査し、お墨付きを与える仕組みが確立されていく。イギリスでは、1822年よりグリニッジ天文台でコンクールを開催。スイスでも19世紀中頃にジュネーブとニューシャテルの天文台でコンクールを開き、厳格な試験に合格したモデルは高精度な「クロノメ ーター」を称されることが許された。
また20世紀中には、機械式時計は精度のほか、自動巻き構造や高防水性など付加機能に おいても大きく進化していく。いわゆるストップウォッチ機能であるクロノグラフもその ひとつで、1915年に〈BREITLING ブライトリング〉が世界初の腕時計型手巻き式クロノ グラフを発表している。
1957年には〈OMEGA オメガ〉「スピードマスター」、1963年には〈ROLEX ロレックス〉「デイトナ」が登場し、活況に沸いた。
中でも広く知られているのがオメガ「スピードマスター」だろう。当時、人類を月に送るという未曾有のプロジェクトを推進していた NASA が、クルーたちに身に着けさせる腕時 計を選定。宇宙の極限状態を再現した超過酷なテストをくぐり抜けた唯一の時計が、この 「スピードマスター」だった。1969年に達成した月面着陸の際にも活用され、以後「ムーンウォッチ」という愛称でも親しまれるようになる。
「ムーンウォッチ」こと〈OMEGA〉の「スピードマスター」
1969年には、自動巻きによる腕時計型クロノグラフも誕生した。時計メーカー数社が共 同開発した「クロノマチック」がそれで、機械式時計はここにひとつの最高潮を迎えるこ ととなった。
クォーツ式ムーブメントの誕生が
衝撃を巻き起こす。
人類の月面着陸、初の自動巻きクロノグラフの登場と世界的なニュースの多かった1969年。年の瀬の12月には、それ以上に業界に大きな衝撃をもたらす事件が起こった。
〈SEIKO セイコー〉から世界初の「クォーツ式腕時計」が発売されたのだ。世にいう「クォーツショック」の始まりである。
クォーツを使った時計そのものは、1927年、ベル研究所のウォーレン・マリソンと J.W. ホートンによって成し遂げられた。しかし、そのときに作られたのはタンスひとつ分はあ ろうかという巨大な据え置き装置で、研究機関や放送局などごく一部に設置されるのみだ った。しかし、クォーツ時計特有の精度の高さは、業界関係者の心を射止めた。今日の基 準でも、一般的に機械式の場合は日差-10~+15秒ほどの精度であるのに対し、クォーツは月差±20 秒ほどと、その差は歴然であったからだ。
いかに老舗時計メーカーが知恵を出し、天才的ひらめきと卓越した技術で追い込んだとしても、機械でクォーツの精度を超えることは非常に難しい。クォーツには、コストや小型化など市販化までにまだ多くの課題が残っていたが、そこに時計の未来を描くメーカーもあった。
そのひとつがセイコーだ。1959年よりクォーツを将来の本命技術と定め、開発に集中。 その頃にはクォーツムーブメントに欠かせない部品の開発コストが下がりつつあり、小型 化を実現するだけの基礎技術も大幅に向上していた。1962年には、世界初の卓上型クオ ーツ時計が完成。1964年の東京オリンピックでは国産時計メーカーとして初めてオフィシャル計時を担い、いくつかの競技では高精度なクォーツ計測機器を活用して注目を集めた。
さらに1967年にはクォーツ腕時計のプロトタイプを開発。そして1969年12月に世界初 の腕時計型クォーツ「アストロン」を発売し、世界に衝撃を与えた。なお、この「アストロン」の定価は45万円。当時、大卒初任給の月収が3万1000円、大衆車トヨタ・カローラが42万円だったことを考えると、クォーツ時計がいかに高級品であったかがわかる。 しかし「アストロン」が実現した日差±0.2秒、月差±5秒という機械式時計の100倍近い精度は別格で、確固たる存在感を放つものだった。
クォーツ式腕時計に注目していたのはセイコーだけではなく、1970年には〈BULOVA ブローバ〉〈JUNGHANS ユンハンス〉といったメーカーからも発表され、早くも各社でしのぎ を削るようになる。
1973 年には、〈CITIZEN シチズン〉もクォーツ式腕時計「クリストロン」を発売。クオ ーツの採用ではセイコーに先を越されたものの、同シリーズでは当時珍しい 1 秒運針のステップモーターや世界初の年差±3 秒の超高精度を実現したモデルを登場させ、一大勢力を築き上げた。
〈CITIZEN〉のクォーツ式腕時計「クリストロン」シリーズ
クォーツ式腕時計のパイオニアとなったセイコーだが、1970年にはクォーツ式腕時計の 特許技術を早々に公開してしまう。各社でバラバラな仕様をセイコー方式に収斂させると ともに、技術開発の加速で素材のコストダウンや小型薄型化、高精度化を促進させる狙いがあったためだ。
やがて部品価格の低減と生産ラインの確立により、1980年代に入るとクォーツ式腕時計 は急速なコストダウンを実現。約 10 年前には自動車並だったものが、わずかなお小遣いで購入できる製品へと変わっていった。形やデザインもバラエティ豊かになり、ここからファッションアイテムとしての存在が花開いていく。
大きな打撃を受けたのが、世界中の機械式腕時計メーカーだ。誰もが高精度で安価なクオ ーツ式腕時計に飛びつくようになり、売上は激減。1970年には1600社以上あったスイス の時計企業は、1980年代中頃には600社以下に落ち込み、時計輸出額もおよそ半分に低 下。100年以上続いていたような老舗メーカーもこの衝撃に耐えられず、廃業してしまったところも少なくない。この頃にはスイスに代わって日本が時計生産世界一となり、国際的なシェアを拡大していった。
1980 年代には〈SEIKO〉から「キングクォーツ」発売。最高級クォーツの位置づけで、温度特性の異なる 2 つのクォーツを使って誤差を最小化した「ツインクォーツ」技術が使われている。
こうしてクォーツは、機械式に代わって腕時計の主要機構としての地位を築き上げた。日 本時計協会の推定によれば、2017年のウオッチ世界生産において機械式はわずか3%に過ぎず、ほかはクォーツが占めている。
クォーツショックによって大きな痛手を受けたスイスの時計産業は、企業・ブランドの統廃合やグループ化、新たなマーケティング戦略を敢行。ファッション性を武器に新たなビ ジネスモデルを作り上げた〈swatch スウォッチ〉が産業を下支えしていく。また、機械式腕時計は芸術的な匠の技や歴史を秘めた嗜好品として再評価され、高級品としてのポジ ションを獲得していくようになる。
エレクトロニクスが時計を変えた時代。
1950年代~1980年代は「クォーツショック」のほかにも、数々のエレクトロニクス技術が腕時計業界に影響を与えた時代だった。
腕時計のエレクトロニクス化に先鞭をつけたのは、〈HAMILTON ハミルトン〉だった。 1957年に、世界初の電池式腕時計である「ベンチュラ」を発表している。これは機械式ムーブメントの基礎はそのままに、ヒゲゼンマイの代わりにボタン電池を動力源に起用したもの。「電磁テンプ」や「電子テンプ」とも呼ばれ、手で巻く必要のない時計として重宝された。
翌1958年には、フランスの <LIP リップ> からも電磁テンプを起用した「エレクトロニ ック」が発売され、アメリカのアイゼンハワー大統領にも贈られた時計として話題になっ ている。
時計の表示方法においても、イノベーションが起こった。
1970年には、ハミルトンが世界初のデジタル表示式モデル「パルサー」を発売。自動巻 きムーブメントながら赤色 LED によるデジタル表示を可能とした。
1973年には、セイコーから世界初 6 桁(時・分・秒)表示の液晶腕時計を発売。今日のデジタルクォーツの幕開けとなった。
1983年には、日本の〈CASIO カシオ〉から、後に一大ムーブメントを起こす時計が誕生する。「G-SHOCK ジーショック」がそれだ。
機械式であれクォーツ式であれ腕時計は精密機器であり、机の高さから落としただけでも 針が外れ、内部の機械も破損してしまうことが少なくなかった。カシオは後発として時計 産業に進出するにあたり、エレクトロニクスメーカーとしての技術開発力を生かして時計 にタフネスをもたらそうと計画。ムーブメントを中空構造にすることで、優れた耐落下衝 撃性を実現した。
その初代モデルの DNA を受け継ぐのが、「5600」シリーズだ。武骨なケースに覆われたスクエア形状のデジタルウオッチで、タフソーラーやマルチバンドなど新技術が誕生するたびに新モデルが作られ、不動の人気を博している。
初代の正統な後継モデル〈CASIO〉の「G-SHOCK 5600」
1989年には、G-SHOCK 初のアナログデジタルコンビネーション、通称「デジアナ」モデルの「AW500」が誕生。「アナログは衝撃に弱い」という定説を覆した。
根強い人気を誇りリユース相場も高い「AW-500」
1990 年代以降は〈A BATHING APE アベイシングエイプ〉や〈STUSSY ステューシー〉、〈UNITED ARROWS ユナイテッドアローズ〉など数々のブランドやセレクトショップとコラボレーションを行い、ファッションシーンに新たなムーブメントを提供していく。

〈A BATHING APE〉とのコラボレーション
「クォーツショック」をはじめとするエレクトロニクス技術によって、その様相や価値観 を大きく変化させた腕時計の世界。憧れの高級機械式時計からファッショナブルなクォーツ式時計まで、多種多様なニーズに合ったモデルが息づいているのも、この激動の時代を 経てきたからこそだろう。
当時のヴィンテージモデルだけでなく、時計の歴史を受け継ぐ現行モデルに触れたときにも、その歴史やその背景を知ることによって、カタログスペックにはない魅力に気づかされるはずだ。
Text by Hiroyuki Yokoyama

