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即GET指令!ナイキの名作「エア ジョーダン」シリーズ【前半戦】AJ1~AJ6 歴代モデルの魅力を徹底解説!

“祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす”。

日本を代表する古典文学『平家物語』の冒頭の一文は、「この世のすべての現象は絶えず変化し、どんなに勢いが盛んな者も必ず衰える」と説く。

読者諸氏にも馴染み深いところでいえば、近年のスニーカーシーンがまさにそれだ。レアリティを競い合う中で、プレミア的価値を盲目的に追いかけるマニアたちも、一時の熱狂からすっかり醒めて“人気モデル”の称号は過去の栄華。

それは不倒の巨人〈NIKE ナイキ〉もまた例に漏れず、次々とオワコンの烙印を押される名作キックス。その筆頭とされながらも、同時にブランドを象徴する不動の存在として強烈な光を放ち続けているのが「AIR JORDAN エア ジョーダン」(以降、AJ)シリーズ。

今回の『knowbrand magazine』では、“伝説的バスケットボールプレーヤー”マイケル・ジョーダンのシグネチャーモデルとして誕生し、彼の活躍を支え、数々の伝説を作ってきた同シリーズの魅力を、歴代モデルの進化と軌跡とともに振り返る。

なお、ショットクロックに努めるつもりだが、勢い余ってやや長めのセンテンスになってもご勘弁を。それではAJ1からAJ6までを徹底解説する【前半戦】スタート!

即GET指令!
「AIR JORDAN 1
エア ジョーダン 1」
AJ伝説の出発点にして、
不動のシリーズ最頂点

ホイッスルの音とともに始まった前半第1クォーター。ティップオフ(ジャンプボール)からゲームは開始される。ボールを掴んだのは“バスケの神様”マイケル・ジョーダン(以降、MJ)の初代シグネチャーモデルとして誕生した、ご存知「AIR JORDAN 1 エア ジョーダン 1」(AJ1)。今や40代目もデビューを果たす長寿シリーズのはじめの一歩。

シリーズのはじまり「AIR JORDAN 1 エア ジョーダン1」。写真のカラーは白×赤×黒の通称「シカゴ」。

その誕生の背景から逸話に事欠かない。まずは遡ること1984年、NBA入り前から注目を集めていたMJとの契約交渉。〈NIKE ナイキ〉は本来、複数選手用に用意していた25万ドルもの予算を、シカゴ・ブルズに入団が決まったばかりの22歳のルーキーに“全額ベット”。さらに年50万ドルの契約金とロイヤリティの支払い、シグネチャー(専用)ラインの設立という破格の条件を提示したのだ。当初は学生時代から愛用していた〈adidas アディダス〉を熱望していたMJも、この熱意に心を動かされ契約にサインを交わし、シグネチャーシューズの開発がスタートした。

デザインを手がけたのは、当時ナイキでクリエイティブディレクターを務めたピーター・ムーア。ナイキの名作モデルの一つで同年リリースの「DUNK ダンク」も彼の仕事だ。おまけにナイキ退職後、ライバル社のアディダスで「マウンテンロゴ」の制作にも携わるなど、その実力は疑いようのないモノホン。そんな男が完成させたのが記念すべきファーストモデルである。

AJといえば、こちらのウィングマーク。アメリカ空軍のパイロットウイングやフライトバッジからインスピレーションを得たとか。

デザインベースは、先述のダンクや「AIR FOECE 1 エア フォース 1」とも通ずるシンプルなバッシュ顔の「AIR SHIP エア シップ」。スマートなアッパーサイドには勝利の女神の翼=スウッシュ。さらに足首を支えるアンクル部分には「ウィングロゴ」を配置。移動中の飛行機内でナプキンに即興で描いたこの意匠は、のちにAJシリーズを象徴するアイコンとなっていく。

今回用意したのは、双璧をなす人気の白×赤×黒の通称「シカゴ」とMJが所属したシカゴ・ブルズのチームカラーをベースにした黒×赤(通称「BRED ブレッド」)。MJが“悪魔の色”と呼んだこのブレッドが発端となったある事件が、のちに“伝説のプロモーション”へと繋がる。

黒×赤=「BRED ブレッド」は、ファンの間で別名「Banned(禁止)」とも呼ばれるが、30代後半以上の世代には「ブルズカラー」の方がしっくりくる。

当時のNBAには、ユニフォームの統一性に関する規定があり、他選手が白をベースとしたバッシュを着用する中で、チームの統制を乱すブレッドカラーは違反とみなされた。これにより試合で履くたびに5,000ドルの罰金が課されたが、あえてナイキはこれを払い続け、MJにシューズを履かせた…という触れ込みの「禁じられたシューズ」としてCM展開(実際はAJ1ではなく、エア シップに対する違反措置だったが…)。この戦略が大成功を収め、初年度で1億2,600万ドルを売り上げる快挙となった。

伝説と呼ぶに相応しい逸話だらけのAJ1。その存在がまさに奇跡といえる。

日本では、神宮前のセレクトショップ〈レッドウッド〉が、スポーツショップ以外で初の正規取り扱いを開始。一方、スポーツショップではワゴンセールでの投げ売りなど不遇の扱いを受けるも、スケートボードカルチャーとともに“カリスマ”藤原ヒロシや西山 徹(〈WTAPS ダブルタップス〉ディレクター)ら、裏原宿カルチャーを代表する感度の高いクリエイターたちに支持され、ストリートシーンでの地位を確立していった。そして2025年、AJ1は誕生から40周年。その輝きは色褪せることなく、ストリートカルチャーの象徴として存在感を放ち続けている。

(→「エア ジョーダン」に関する別の特集記事はこちら)

(→「エア ジョーダン1」の「スニーカー」をオンラインストアで探す)

 

即GET指令!
「AIR JORDAN 2
エア ジョーダン 2」
高級志向のイタリアンメイド。
玄人好みで異色のAJ

前作AJ1が鮮烈なデビューを飾った翌1986年、選手交代でコートに姿を現したのが「AIR JORDAN 2 エア ジョーダン 2」(AJ2)だった。AJシリーズの中でも“異色の一足”と呼ばれる同モデル。その理由はデザインにある。なにせナイキの象徴であるスウッシュがそこにはない。だがそれには“ジョーダンブランド”としての独立性を強く印象づけるという狙いがあった──。

独創的なデザインとシルエットが異彩を放つ「AIR JORDAN 2 エア ジョーダン 2」。

デザインを手掛けたのは、AJ1の生みの親ピーター・ムーア、AF1の設計者ブルース・キルゴア、そしてイタリア人デザイナーのジョルジオ・フランシスという3名。19世紀の女性用ブーツから着想を得たという流麗なフォルムと、フィットを向上させる背面の蛇腹状TPUパーツが特徴。

AJの象徴たるウィングロゴがシュータンで存在感を放つも、上質なホワイトカラーのレザーとイグアナ柄のフェイクレザーのコンビネーション、専用のシューズBOX、そして前作からのイメージを大きく覆す高級路線のイタリアンメイドというインパクトの方が、遥かに大きかった。

シュータンにはAJ1から続投のウイングロゴ。しかし、このモデル以降シューズデザインからは姿を消す。

異彩を放つのはデザインや生産国だけでなく、カットやカラー展開も同様。ハイとローの2タイプで、カラーはそれぞれ「白×赤×黒」と「白×黒×赤」が用意された。シリーズ中で白ベースしか展開されなかったのは、後にも先にもこのAJ2のみ。ちなみに当時の日本では未発売。

当時のバッシュとしては珍しいローカットフォルム。蛇腹状のヒールのプラパーツもポイントだ。

一方、前シーズンは骨折に悩まされていた MJも、ここにきて完全復活。クッション性と足首のサポートを強化したAJ2の着用が功を奏したのか、1試合平均37.1得点と驚異的な数字をたたき出したことに加えて、200スティール&100ブロックを同時に記録。シーズン通算3,000得点超えという圧巻の数字を残すなど、目覚ましい活躍を見せた。

しかしその勢いとは裏腹に、前作の65ドルから大幅に上がり、強気の100ドルという価格設定にユーザーが戸惑いを見せ、セールス自体は前作ほどの熱狂を得られなかったという。

ブラックカラーは存在せずホワイトカラーのみ。だけどローカットはあるという不思議なアイテム展開。

とはいえ古参スニーカーマニアの間では支持する声も多く、2021年にリリースされた〈OFF-WHITE オフホワイト〉とのコラボモデルをきっかけにその独自性が再評価され、ライト層にも人気拡大。今ではコラボモデルのベースに選ばれることも多い。

最後にマニアックな小ネタを1つ。実はこのAJ2を、“世界的ポップスター”マイケル・ジャクソンの楽曲「BAD」のMV内でダンサーが着用しているとか。MJと呼ばれる者同士が引き寄せた偶然か、それとも時代が生んだ必然か──。

(→「エア ジョーダン2」の「スニーカー」をオンラインストアで探す)

 

即GET指令!
「AIR JORDAN 3
エア ジョーダン 3」
天才デザイナーが挑む
“ビジブルエア”の新たな可能性

AJ1の成功とAJ2の苦戦。予想だにしなかった評価の乱高下に困惑するナイキが、1988年に次なる一手として投じたのが「AIR JORDAN 3 エア ジョーダン 3」(AJ3)だ。しかも折り悪くこのタイミングで、デザインを担当していたピーター・ムーアがナイキを退社。シリーズの方向性に不安が広がり、MJ本人も過去モデルに対し抱いていた不安が発露。契約更新に対して後ろ向きの姿勢を見せるように…。

そんな逆風吹き荒れる中で、新たにデザインを担当したのが「AIR MAX エア マックス」シリーズの生みの親、ティンカー・ハットフィールドその人だった。彼が生み出したAJ3を手に取った MJが革新的なデザインと機能性に魅了され、契約を継続したというエピソードはあまりにも有名だ。

天才ティンカー・ハットフィールドのこだわりが詰まった「AIR JORDAN 3 エア ジョーダン 3」。

では、何がMJを魅了したのか?最大のポイントとしては、エアマックス1で好評を博した「ビジブル エア」を採用した点が挙げられる。ヒールにエアを可視化した次世代のクッションシステムを搭載することで、クッション性を向上させた。アッパーデザインは、前作のテイストを継承しシンプルに。ティンカーはそこにアクセントとして象の表皮を模したエレファント柄を投入。そのインパクトある表情から、その後のナイキに欠かせない柄のひとつとなった。

アフリカの大地をイメージさせる人気ディテール「エレファント柄」は本作から採用。さらにシリーズ初搭載となった「ビジブル エア」も顔を覗かせる。

さらにMJのようなスピーディーなプレーをする選手に適した3/4カット(ミッドカット)のみにシルエットを統一。一方でAJ2と同じように、シューレースホールの一部にDリングを採用。シューレースホールの先端部と後端部には幅広いワイズに対応できるように二つの穴を設けることで、フィット感を好みに合わせてカスタマイズできるように。こうしたアイデアにより、MJ本人の要望である“動きやすさとサポート性の両立”を叶えたのである。

ハイカットでもローカットでもない3/4カットを新たに採用。MJ本人の要望である“動きやすさとサポート性の両立”を叶えた。

もう一点、忘れてはいけないのが「ウィングロゴ」を廃し、新たなアイコン「ジャンプマン」を採用し、ブランディングが明確なった点。このジャンプマンは「夕陽をバックにダンクをするMJの姿」を切り取ったプロモーション用写真を図案化したものだったが、「撮影した写真を真似された」と訴える者が現れ、和解金15,000ドル(当時の日本円で約160万円)の違約金を支払う羽目に。そんなひと騒動も、今となれば伝説を彩り語り継がれるエピソードの1つ。

「ウィングロゴ」から新たなアイコン「ジャンプマン」へ。交代劇の裏には想定外の事件が。

同年に開催されたダンクコンテスト決勝で、ジョーダンはフリースローラインから驚異的なダンクを披露し優勝。ジャンプマンのイメージも相まって、“ダンクフォームの理想系”として真似した覚えのある人も多いに違いない。

さらに映画監督のスパイク・リー演じるPRキャラクター“マーズ・ブラックモン”とMJの掛け合いで展開されたコミカルなCMシリーズも注目を集め、AJ3の認知は着実に上昇していった。ちなみにエレファント柄は“セメント柄”とも呼ばれる。セメントといえばプロレス用語で“真剣勝負”を意味する比喩表現。当時のナイキがこのモデルに、シリーズの命運をかけていたという歴史的事実ともリンクするのが面白い。

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即GET指令!
「AIR JORDAN 4
エア ジョーダン 4」
FLIGHTとAJのDNAに
バスケットボール”モチーフを融合

前半戦もここから第2クォーターに突入する。ティンカーとともに新たな道を歩み始めたMJは、着実にスーパースターへの階段を駆け上がりつつあった。しかしその反面、伸び悩むシグネチャーシューズ、AJシリーズの売上。そんな状況を打破すべく「AIR JORDAN 4 エア ジョーダン 4」(AJ4)が1989年、デビューを飾る。

「AIR JORDAN 4 エア ジョーダン 4」。一番人気の黒×赤(ブレッド)。

ここでティンカーは、シリーズの再定義を打ち出す。前作AJ3で採用したスピードプレーヤー向けの3/4カットに続き、軽量性を特長とするバッシュカテゴリー「Flight」シリーズへの統合を図ったのだ。シュータンにジャンプマンマークと並ぶ“FLIGHT”ロゴは、その証。本革よりも軽量なデュラパック(人工皮革)をアッパーに使い、ソールも「AIR FLIGHT 89 エア フライト 89」から流用。さらに視覚的インパクト重視のデザインへ軌道修正も行われた。

AJ4にのみ存在するシュータンの「Flightロゴ」。

その第一歩がバスケットボールを連想させるパーツの使用。通気性の確保とともにシューズの軽量化にも貢献するアッパーとタンのメッシュパネルに、フープ(バスケットゴール)のイメージを重ねるだけでなく、柔軟かつ耐久性に優れたTPUパーツ製のアイレットは、フープをそのままサイズダウンした様相。

AJ3(右)に引き続き3/4カットは継続。随所に落とし込まれたTPUパーツ&“バスケットボール”モチーフが目を引くのがAJ4(左)。

シューズを履いた時に足が左右にブレるのを防ぎ、安定感を高める三角形のスタビライザーはゴールの支柱をモチーフにしており、フィット感と安定性向上に寄与するヒールプロテクターもやっぱりフープ型。こうして徹底的に“バスケ”モチーフを落とし込むことで、想定外の反響を得ることになる。当時まだバッシュでは珍しかったTPUバーツを多用したことで、“新しモノ好き”たちの間でバカウケ。

かように素材とデザインの融合で機能性を高める一方、ストリートを強く意識した仕掛けも忍ばせている。それがシュータン裏にひっそり逆配置された“AIR JORDAN”の表記。当時、シュータンを折り返す履き方が流行っていたことを示す貴重な歴史の証人。いや、令和の今ではその歴史も風化し、すっかりトマソン。

シュータン裏に記された“AIR JORDAN”の逆さ文字が意味するものとは…?

そしてこの1足を履いたMJは伝説のプレーを残す。それが、1989年プレーオフ第1ラウンド第5戦、キャバリアーズ戦での“THE SHOT”だ。99‒100でブルズ劣勢の場面、残り3秒でボールを受けた彼が放った一投は、NBA史に残るブザービーター。この時に履いていたのが、写真のカラーと同じ黒×赤の通称“ブレッド”だった。

さらにスパイク・リーによる“MARS & MIKE”キャンペーンも継続。彼の代表作的映画『Do The Right Thing』にも登場し、映画とストリートの両方で認知拡大。なんにせよ、一時シリーズ消滅の危機に瀕していたAJシリーズは、こうして土壇場でピンチを回避し、見事復活を果たしたのであった。

(→スパイク・リーの『Do The Right Thing』と「AJ4」に関する別の特集記事はこちら)

(→「エア ジョーダン4」の「スニーカー」をオンラインストアで探す)

 

即GET指令!
「AIR JORDAN 5
エア ジョーダン 5」
「IS IT THE SHOES ?
(これはシューズなのか?)」。
熱狂的人気は社会現象に

これまでの熱心なプロモーションとMJ自身の活躍が実を結び、AJシリーズは世界的な人気を獲得。1990年にデビューを果たした「AIR JORDAN 5 エア ジョーダン 5」(AJ5)は、やがて社会現象を巻き起こし、良くも悪くも人々の記憶と記録に残る1足となった。

爆発的人気を博し、社会現象にまでなった「AIR JORDAN 5 エア ジョーダン 5」。

本作は、ジョーダンの空中戦を制する跳躍力と攻撃的なプレースタイルを、第二次世界大戦中のアメリカ空軍の戦闘機「P-51」、通称“ムスタング”になぞらえたデザインを特徴とする。戦闘機の機体に描かれたノーズアートを彷彿とさせるミッドソールの“鮫の歯”モチーフは、その最たるものだ。この大胆で攻撃的なディテールがAJ5の個性を決定付けたといっても過言ではない。

また他にも注目すべきポイントは多い。リフレクター素材のシュータン、シリーズ初となるクリア樹脂成形のシューレースストッパー、クリアラバーのアウトソールなど革新的な素材使いがフューチャリスティックに演出。バッシュでありながら、ファッション性を意識したデザインアプローチも色濃く反映されている。

近未来感のあるシュータンのリフレクターとシューレースストッパー(レースロック)は当時、革新的だった。

シリーズ初のクリアソールには「ジャンプマン」を配置。飛び上がった際にチラッと見えるのが粋だった。

よく見るとアンクル部分のアウトサイドとインサイドで、カットが異なっているのが分かる。

さらにはシリーズ初のナンバリングが採用されたという点もエポックメイキング。ヒールサイドに背番号23が刺繍された個体はファン垂涎のコレクターズアイテムで、雑誌広告でも価格表記は大概ASK。「ASKっていくら!?」と困惑した…なんて話で盛り上がるのは大体『Boon』世代。

このシーズンのジョーダンは初の得点王に輝き、69得点のキャリアハイも達成。シューズの勢いとともに、コート上でも頂点へと駆け上がっていった…のだが、一方で過熱しすぎた人気は“制御不能な社会現象”を巻き起こす。

前作がブラザー層を中心にブレイクしたことを受けて、よりブラックカルチャーを意識したデザインに仕上げられていたのもその一因とされる。全米で繰り広げられた激しい争奪戦は強盗・殺人事件にまで発展。このアメリカでの過熱ぶりが海を越えた日本にも伝播し、当時人気だったファッション誌の特集を通じてAJはストリートシーンでも話題に。スニーカーマニアが注目するファッションアイテムとして、即GET指令の最重要ターゲットとなった。

(→「エア ジョーダン5」の「スニーカー」をオンラインストアで探す)

 

即GET指令!
「AIR JORDAN 6
エア ジョーダン 6」
MJの要望に、ティンカーが
「天才ですから」と応えて誕生!?

AJシリーズ栄光の軌跡、前半戦タイムアップ直前のラストを飾るのが1991年デビューの「AIR JORDAN 6 エア ジョーダン 6」(AJ6)。これまで絶え間なく進化を続けてきた同シリーズは、このモデルで1つの完成型に辿り着いたといえる。

これまでのシリーズにはない容姿を備えた「AIR JORDAN 6 エア ジョーダン 6」。

本モデルの開発にあたって、ジョーダン本人がナイキ本社をたびたび訪れ、デザインチームと積極的に意見を交わした。中でも強くリクエストしたのが“素足感覚でプレーできるシューズ”という要望。ティンカーはこの声に応え、これまでのシリーズで採用されていたツマ先部分の補強を取り払い、初の「プレーントゥ構造」を導入する。これにより足先の可動域が拡張。黒豹にも喩えられるMJの、スピーディーかつ直感的なステップワークを十二分に発揮させることに成功。

軽量化を図るための肉抜きが施されたラバー製シュータン。ジャンプマンがこんなに主張するのも本モデルならでは。

スケルトンフレームで包み込んだアッパーにはパンチング加工で通気性を確保し、伸縮性のある柔らかな素材も相まって、まさに足と一体化するような履き心地を実現させた。

加えて、ビジブルエアやクリアラバーソール、シューレースストッパーなど歴代モデルのエッセンスも随所に盛り込みながらラバー製シュータンやポルシェのリアスポイラーにヒントを得たヒールタブなど、斬新な意匠が融合。まさに1~5までのAJシリーズの“集大成”といえる1足に仕上がっている。

ソールカラーはクリアとホワイトのミックス。ジャンプマンの赤が絶好のアクセントに。

今回紹介するのは「ホワイト×レッド」の通称“カーマイン”。シカゴ・ブルズは1990〜1991年シーズン、当時最多タイとなる61勝を挙げて悲願のNBAファイナル初制覇。そんな記念すべき試合で MJが履いていたという事実も相まって、シリーズ屈指の名作として今も人気を集めている。

最後にひとネタ。この AJ6といえば、「天才ですから」の名台詞でお馴染み、漫画『SLAM DUNK』の主人公・桜木花道が初めて履いたバッシュとして知られるが(ちなみに先述のAJ5の通称“ファイヤーレッド”を同作で流川楓が着用している)、映画『バットマン・リターンズ』でバットマンが着用していたブーツが、同モデルをベースにしていたという事実もスニーカーマニアと映画ファンの基礎素養。

なお、ここまでAJシリーズを推し続けてきたスパイク・リーがプロモーションキャラクターを務めたのもAJ6まで。以降、MJの華々しいキャリアとともに、さらなる進化の道を歩んでいく。

(→「エア ジョーダン6」の「スニーカー」をオンラインストアで探す)

『knowbrand magazine』読者諸氏であれば、誰しもが一度は猛烈に心惹かれた覚えがあろう、憧れの存在“エア ジョーダン”。

世の中のファッショントレンドが、アメカジからストリートへと移り変わっていく時代の黎明期にあって、リリースされる新作は常にクール。そのたびにファッション誌の巻頭を飾り、物欲を刺激する名文と心躍らす扇情的な惹句に、「絶対にゲットオンせねば」と心誓ったあの日から、今も変わらない不動のエース。

ここまで6モデルを紹介するのに費やした文字数は約8700文字。MJの言葉を借りるなら、「全力で取り組む以外に方法はない。そこに近道はない」。ゆえに続く【後半戦AJ7~AJ12】も、文字数を気にせずフルスロットルでお送りする所存。ハーフタイムを挟み、試合再開までしばしお待ちを。

(→「即GET指令!ナイキの名作「エア ジョーダン」シリーズ【後半戦】」はこちら)

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