2nd STREET
DOWN FAIR
今話題の人気ブランドから、老舗アウトドアブランドまで、機能性・デザイン性に優れた上質なダウンジャケットが勢ぞろい!
キャンプなどのアウトドアシーンで活躍する機能重視のハイスペックモデルから、デイリーユースで取り入れたいスタンダードモデルまで幅広くご紹介!!
NORTH FACE
NORTH FACEイメージ
10代からスキーや登山にのめりこんでいたダグラス・トプキンスは、1966年、サンフランシスコにスキーやバックパックを取り扱うショップ「THE NORTH FACE」をオープン。そのオープニングパーティーには、当時無名だったThe Grateful Deadも参加していたという。この〈THE NORTH FACE〉というブランド名は、登山が難しい山岳の北側のことを指しており、そのロゴマークはヨセミテ国立公園のハーフドームの北壁をモチーフとしている。

1969年にリリースした軽量な内部フレームのバックパック「Ruthpack ルースパック」が評判を呼んだのを皮切りに、業界初の最低気温の規格を表示した寝袋や、ダウンパーカの原型と言われる「SIERRA PARKA シエラ・パーカ」、世界初のドーム型テント「Oval Intention オーバルインテンション」を発表。その機能性に加えて、それまでのアウトドアウェアとは異なるファッション性の高い製品で、アウトドアファンのみならず、当時の若者たちの間にも人気が拡大することとなる。

様々なヒット商品を持つ同ブランドだが、その中でも代表的なのが、1992年にリリースされたヌプシジャケット。ジャケットを断熱して温かさを増強するバッフル構造が用いられた、高性能のダウンジャケットだ。鮮やかなカラーリングと丸みを帯びたシルエットが大きな特徴で、アウトドアユーザーはもちろん、ストリートファッションとしても人気のモデルである。
BALTRO LIGHT JACKET
NUPTSE JACKET
MCMURDO PARKA
ANTARCTICA PARKA
DOWN JACKET ALL
CANADA GOOSEE
CANADA GOOSEEイメージ
寒冷の地・カナダが誇るダウンメーカー 1957 | TORONTO,CANADA | Sam Tick
サム・ティックにより、CANADA GOOSEの前身であるMetro Sportswear Ltd.がカナダのトロントに設立されたのは1957年のこと。当初はウールベストやレインコート、スノーモービルウェアを主に製造していた。1970年代にはサムの義理の息子であるデーヴィット・リースが、大容量のダウンを充填することのできる機器を発明。のちにカナダグースとなるブランド「スノーグース」が設立される。

1980年代には、極寒地で活動する人々の声を集め、「EXPEDITION PARKA エクスペディション パーカ」を開発。「ビッグ・レッド」のニックネームで親しまれる定番となり、1982年には、Metro Sportswearによるデザイン・製造の特注パーカーを着たローリー・スクレスレットが、カナダ人初のエベレスト登頂を達成。このときのパーカーは「ビッグマウンテン」の愛称で親しまれ、のちの2011年に「SKRESLET PARKA スクレスレット・パーカー」として発売された。

2007年にはホッキョクグマの生息地を守る活動を行うポーラーベア インターナショナルに寄付を行うPBIコレクションを発売。さらにイヌイット族に生地やボタンなどの素材を無償提供するなど、環境や少数民族保護の活動を行なっている点も高く評価されている。さらにカナダ国内での製造にこだわり、2014年にはカナダのアパレル産業における労働市場の6%を雇用していると連邦政府から認定を受けるなど、現地での雇用を推進し、高品質な製品を作り続ける姿勢にも注目したい。
JASPER
CHATEAU PARKA
CITADEL
RUSSELL PARKA
DOWN JACKET ALL
MONCLER
"ダウンジャケットの最高峰"
1952 | MONESTIER-DE-CLERMONT,FRANCE | Rene Ramillon / Andre Vincent
レネ・ラミヨンとアンドレ・ヴァンサンが、フランス・グルノーブル郊外で1952年に創立したMONCLER。
当初は登山用のテントやシュラフなどの製造を手がけていたが、優れたダウンウェアの開発のため、ヒマラヤ登頂にも成功したフランス人アルピニスト、リオネル・テレイをアドバイザーに迎えて、研究・開発を繰り返すことでその機能性に磨きをかけてゆく。 その一方で、世界のトップアルピニストたちにダウンウエアを提供、冬季オリンピックの公式スポンサーとなることで知名度も上げることとなる。

2000年代にはJUNYA WATANABE COMME des GARÇONSとのコラボレーションを発表。さらにトム・ブラウンの指揮の下で生まれたモード性の強いMONCLER GAMME BLEUや、ジャンバティスタ・ ヴァリを起用したエレガントなMONCLER GAMME ROUGEが誕生。ラグジュアリーなダウンブランドの地位を確固としたものにするも、2018年の春夏コレクションで惜しまれつつこの2ラインは終了した。

もちろんファッション性だけでなく、現在に至るまでその品質を保つ努力を怠ることはない。MONCLERのダウンは、AFNOR(フランス規格協会)が最高品質ダウンであることを証明するキャトルフロコン(4Flocons)マークを取得したホワイトグースの産毛を使用、職人が各パーツごとに最適な量をグラム単位で計測しながら、確かな縫製技術で仕立て上げられてゆく。MONCLERならではの軽くて包み込まれるような着心地は、その技術の結晶なのだ。
TATRAS
"異質な存在が生み出す、日常を美しく彩るダウンジャケット"
2006 | MILANO,ITALY | SAKAO MASANAKA
ダウンジャケットを主としたアイテム展開ながら、優美なプロダクツゆえ「ドレッシー」とさえ称えられるブランド〈TATRAS タトラス〉。
「in everywhere(いたるところで)」をコンセプトに掲げ、「機能的」で「洗練された」「唯一無二」というテーマのもと、纏う者をエレガントに彩る美しくもハイエンドなダウンウェアを追求し続けている。

ブランドの誕生は、2006年。拠点はイタリア・ミラノ。しかし実はブランドの発端は日本。「自分の思う理想的なモノを作りたい」そんな想いを胸に起業したクリエイティブディレクター 坂尾正中が中心となり、日本・イタリア、ポーランドで展開するブランドとしてスタートしたという。だが異質なのはそれだけではない。ブランドを代表する1人のデザイナーを立てることなく、イタリアを中心としたデザインチームとフリーランスで活躍するメンバーたちが、プロダクトデザイン・開発を担ってきたのだ。

アウトドアウェアブランドとは出自の異なるタトラスが生み出すダウンジャケットは、防寒を主目的とするアウターとしての機能性を高次元で具現化しつつも、他のブランドを圧倒する洗練されたデザイン性でファション感度の高い世界中の人々を虜にしてきた。
異質な存在のブランドが生み出すドレッシーなダウンジャケットは、今日も纏う者の日常を「いたるところで(in everywhere)」美しく豊かなものに演出している。
patagonia
"環境哲学に基づいたアウトドアブランド"
1973 | CALIFORNIA,USA | Yvon Chouinard
アルピニズム=スポーツとしての登山を企業理念の中心に据えつつ、クライミングやスキー、サーフィン、フィッシング、トレイルランニングなどに使用するアイテムを扱うアウトドアブランド、Patagonia。
現在では世界に多くの熱狂的ファンを持つその歴史は、創設者であるイヴォン・シュイナードがシュイナード・イクイップメントとしてクライミングギアの製造を行うところからスタートする。
シュイナードが手作りしながら改良を重ねるギアはクライミング仲間に好評を博していたが、ある時スコットランドから彼が持ち帰ったカラフルなラグビーシャツも人気となり、その輸入販売を開始したことから衣料事業がスタート。これがのちの「Patagonia」となることになる。

同社はまだ環境問題に対する意識が希薄だった80年代から環境活動に力を入れており、商品の素材や製造過程が自然にダメージを与えてはならないという強いポリシーを持っている。
その思想を実現すべく、ペットボトルを再利用したフリースや100%オーガニックコットン、リサイクルナイロン等を使用した製品を数多くリリースしている。さらに自社の製品を回収再利用したり、売袋をデポジット制にするなどのストイックな姿勢もまた、同社が世界中のアウトドア愛好者から支持されている大きな理由だろう。
WOOLRICH
"アメリカ最古のアウトドアブランド"
1830 | PENNSYLVANIA,USA | John Rich Ⅱ
アメリカ最古のアウトドアブランドとして知られるWOOLRICH。
その長い歴史は、ジョン・リッチ2世がアメリカ発の毛織物工場を建設したところに始まる。
ほどなくソックスや膝掛けの生産を始め、南北戦争が始まると北軍のためのブランケットを供給するようになり、その生産体制を大きくしてゆく。

その後、ハンタージャケットやパンツなどの製造も手がけるようになる。森の中でハンター同士の誤射を防ぐために同社が生み出した鮮やかな赤×黒のバッファローチェックは、アメリカンウェアの象徴的なものとなっている。ちなみに、男性用のトラウザーズ(スラックス)に初めてジッパーを採用したのもWOOLRICH社だという。

第二次世界大戦の際には、原料の供給から製品化まで一貫した生産を行うことのできる「アメリカで最も信頼できる会社」として、その高い品質が軍からも認められるものとなった。1972年、アラスカからアメリカにパイプラインを引く際に、マイナス40℃の環境にも耐えうる耐寒ウエアとして開発されたアークティックパーカは、のちにイタリアの名門サッカーチームA.C.ミランのベンチウォーマーに採用されたことでも有名に。耐摩耗性と通気性を兼ね備えた60/40クロスにダウンをふんだんに使いながら、ダウン特有の膨らみを抑えたスマートなシルエットで人気を博している。
DUVETICA
"志高きダウンジャケット専業のファッションブランド"
2002 | MOGLIANO VENETO, ITALY| GIAMPIERO VAGLIANO
「高品質なダウンジャケットを身に纏いたい」。そう思ったならば、必ず選択肢に入れておくべきブランドある。それがイタリアのダウンウェア専業のファッションブランド〈DUVETICA デュベティカ〉だ。
デュベティカの始まりは2002年、イタリア・ベニス郊外モリアーノ・ベネト。創業者のジャンピエロ・バリアーノは、ハイエンドなダウンジャケットの代表格として確固たる世界的地位を築いた〈MONCLER モンクレール〉の社長を務めた人物。モンクレールを退社後、2002年に独立しダウンジャケット専業のファッションブランドとしてデュベティカを創業した。
ダウンジャケット専業と謳うだけあり、品質へのこだわりは並々ならぬもの。使用するダウンは最高級のフォアグラ用として自然の中でのびのびと飼育されたグレイグースの希少な胸の産毛のみ。もちろんその他の素材選びから製造工程にいたるまでこだわり抜き、そのストイックな姿勢はブランド名に込めた志の高さゆえ。

だが、ダウンジャケットではその良し悪しを図る指針とされ、明記されることが一般的なダウンの持つ反発力を数値化した「フィルパワー」の表示をデュベティカでは一切行わない。最高品質を追求する一方で、あくまでダウンジャケットに特化した「ファッションブランド」であるということへのこだわりの表れだという。
HERNO
"伝統に裏打ちされたモダニズム"
1948 | LESA,ITALY | Giuseppe Marenzi
イタリア北部・マッジョーレ湖沿いにある町、レーザでジュゼッペ・マレンツィが1948年創業。そのブランド名は、工房の近くに流れるエルノ川(Erno)という美しい川から名付けられた。
1960年代にはカシミアコートやスーツ、女性向けドレスを発表。70年代から80年代にかけてヨーロッパや日本、そしてアメリカに進出することで、世界各地においてイタリアンスタイルを浸透させてゆく。

2000年代に入り、事業をジュゼッペの息子であるクラウディオ・マレンツィが引き継ぐと、HERNOはテーラリングで培った知識や技術を生かしながら、伝統とモダニティを共存させるために試行錯誤する。その結果生まれたのが、スポーティで機能的なハイテク素材と伝統的なテキスタイルを組み合わせつつ、イタリアらしいシェイプに落とし込むことで生まれた、新しい感覚のラグジュアリーウェアだった。

HERNOはその技術を応用して、ダウンジャケット=カジュアルウェアというイメージを覆す、ドレッシーなダウンジャケットを次々と発表。ハイエンドなアウターを作るブランドとして、これまで以上に知名度を上げることに成功することとなる。クラシックな手法を使いながら仕立てられる現代的なコレクションに、これからも注目したい。
columbia
"受け継がれる「ユーザーニーズを具現化する」という"マザー"の意思"
1938 | OREGON,USA, | PAUL LAMFROM/Gert Boyle
アウトドアブランドとしてお馴染みの〈Columbia Sportswear Company コロンビアスポーツウェアカンパニー〉。
実はこのブランドを世界規模にまで成長させたのは、"マザー"と呼ばれたひとりの女性だった。

同社の歴史を大きく変えたのが、先述の"マザー"ことガート・ボイル。彼女は創業者ポールの娘で、後にコロンビア社長となる夫のニール・ボイルとともに事業拡大に尽力。1960年にはスキーグローブの製造会社と合併し、コロンビア スポーツウェア カンパニーが誕生した。コロンビアのアイコンアイテムのひとつとなっている「マルチポケットフィッシングベスト」は、この頃にガート・ボイルが夫とその友人のリクエストを聞き、自らミシンで手作りしたものがベースとなっている。時に彼女が「アウトドア界の発明家」と呼ばれのは、こうしたユーザーの求める高い機能性を具現化できるその才能ゆえだろう。

いまやマウンテンパーカーやダウンジャケットといったアウター類だけにとどまらず、リュックや靴といった装備にいたるまで数多くのアイテムを展開するコロンビア。残念ながら2019年、ガート・ボイルは95歳で天に召されたが、ユーザーの求めを具現化してゆくというマインドは、彼女がフィッシングベストを作ったあの日と同じ熱量のまま、今もしっかりと同社に受け継がれている。
mont-bell
"ダウンジャケットの最高峰"
1975 | OSAKA,JAPAN | Isamu Tatsuno
1975年、少年時代から登山を続けるかたわら、クライミングスクールを運営していた辰野勇が、山仲間であった真崎文明と増尾幸子と共に設立したmont-bell。

創業当初、辰野はPatagoniaの創業者であるイヴォン・シュナード氏と知り合い、代理店として同ブランドが日本に普及することに尽力するとともに、多くの商品を共同開発していたという。しかしながら自社ブランドの開発に集中したいとの思いから、ほどなく代理店業務からは手を引くこととなる。

1978年には軽量で保温力の高い日本初のフリース「オーロンフリース」を製品化。1980年代に入ると、デュポン社のコーデュラナイロンを使用したソフトラゲッジを開発、さらに繊維メーカーと協力してオリジナルのバリスティックナイロンを実用化するなど、新素材を意欲的に開発・採用し、アウトドアシーンに革新をもたらし続ける。

mont-bellのものづくりは、「自分たちが欲しいモノを作る」というのがコンセプト。熱心なアウトドアユーザーでもある社員が企画を出し合い、現場の声を生かしながら商品化しているという。さらに高い耐久性を保つために自社でテストを行うとともに、リペアにも対応。企画段階からアフターケアに至るまですべてに関わることのできる体制を作り上げることで、厳しい状況下でもその性能を発揮することができる製品を、世に送り出し続けている。
STONE ISLAND
"飽くなき研究心が生み出した革新と技術、そして独自の進化"
1982 | RAVARINO,ITALY | MASSIMO OSTI
7着のジャケット。ブランド初のコレクションをたったそれだけで行ったイタリア発のブランド、それが〈STONE ISLAND ストーンアイランド〉だ。
7着といえど、それらは実に異彩を放っていた。布の両面に合成樹脂を塗ることで防水性と強度を高めた素材「ターポリン」、およそジャケットには不向きなこの強靭な素材で、7着のジャケットは製作されていたからだ。「Tela Stella テラ ステラ」と名付けられたこの生地で仕立てられたジャケットは、かつてない存在感を放っていた。まるで海辺で長い時間の経過とともにエイジングしたかの如きその7着は、それらが醸し出す味わい深い雰囲気を表現し「ストーンアイランド」と名付けられ、そのままブランド名となった。

1993年にはGFTグループから独立、ストーンアイランドは新会社「SPORTSWEAR COMPANY SpA スポーツウェアカンパニー SpA」から展開されることとなった。だが1996年、会社との方向性の違いからデザイナーのマッシモ・オスティがブランドを離脱、イギリス人のポール・ハーヴェイが後任のデザイナーに就任。

その後も革新性と技術力で成長を続けてきたストーンアイランド。2008年、長年デザイナーを務めたポール・ハーヴェイが去った後は、会長のカルロ・リヴェッティ自らがデザインチームを率いてディレクションを手掛けている。
DESCENTE ALLTERRAIN
"スポーツ界を進化させる日本ブランド"
1935 | OSAKA,JAPAN | Takeo Ishimoto
1935年、創設者である石本他家男が、大阪にてDESCENTEの前身であるツルヤを創業。1950年代には帆布に防縮加工を施した野球ユニフォームやトレーニングパンツを開発。斬新なデザインと機能性を兼ね備えた野球ユニフォームは現在に至るまで人気を保ち続けており、1980年代には日本のプロ野球11球団のユニフォーム製作に携わっていたこともあった。

スポーツ振興事業にも力を入れており、1964年から「Munsingwear」「Adidas」「NCAA」「Arena」「FILA」などの海外スポーツブランドの輸入や提携を開始。スポーツウェアブームの一端を担うとともに、現在に至るまでゴルフトーナメントの主催や陸上競技、サッカーリーグへの協賛も行なっている。

2008年には、バンクーバー冬季オリンピック日本選手団のために「水沢ダウン」を開発。ステッチを使わず、熱圧着でダウンを封じ込めるとともに、縫製部分には防水テープを使用することで、高い防水性を誇りながら快適な着心地を保つダウンジャケットとして人気となる。

現在でも多くのブランドを擁しながら、トップアスリートから一般ユーザーまであらゆる声を製品に反映し続ける、日本が世界に誇るスポーツブランドといえよう。
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