VANSON
星を背負い、骨を纏う。不屈の魂を宿す、孤高の革ジャン
1974 | MASSACHUSETTS ,USA | Michael Van De sleesen
ライダースジャケット。その言葉から想起されるイメージは、自由、反骨、そして揺るぎない個性の象徴であろう。数多のブランドがひしめく世界にあって、ひときわ無骨で重厚な輝きを放ち、多くの人々の心を掴んで離さない存在がある。その名は〈VANSON バンソン〉。
質実剛健という言葉が、これほど似合うレザージャケットも稀である。一度袖を通せば、その圧倒的なまでの重量感と堅牢さに驚かされる。それは安易な快適さとは対極にある、乗り手(ライダー)を守るための「鎧」としての本質。時代や流行が移ろうとも、その核となる哲学は変わらない。バンソンの歴史とは、まさに妥協なきクラフトマンシップと、不屈の精神が織りなす物語に他ならない。
物語の幕開けは1974年、マサチューセッツ州ボストン。創業者マイケル・バン・デ・スリューセンは、弱冠22歳であった。当時、オイルショックやセントラルヒーティングの普及により、レザージャケット産業は「冬の時代」を迎えていた。多くのメーカーがコストダウンのために品質を落とし、軽量で安価な製品へと舵を切るなか、バンソンは逆の道をゆく。
「最高品質のレザージャケットを作る」。その信念のもと、自宅オフィスでミシンとタイプライターのみで始まった挑戦。バンソンが目指したのは、地元のモーターサイクルレースシーンで戦うライダーたちの命を守る究極のギアであった。最新の技術を貪欲に取り入れ、品質にとことんこだわったバンソンのジャケットは、すぐに本物を知る者たちの間で評判を呼ぶ。その堅牢さは、ボストン市警察のオフィシャルウェアとして採用された事実が何よりも雄弁に物語っている。
バンソンの革ジャンを語る上で欠かせないのが、その代名詞とも言える「コンペティションウエイト」と呼ばれる分厚いレザーである。一般的にしなやかさが特徴とされるクロム鞣しを採用しながらも、バンソンはあえて革の厚みを残し、独自のドラム染めとワクシング工程を長時間かけて施す。これにより、他を寄せ付けない重厚感と、着込むほどに体に馴染む独特のコシ、そして深みのある光沢が生まれるのだ。
この極上の素材を、熟練の職人たちがハンドメイドで一着のジャケットへと組み上げていく。最もシンプルなモデルでさえ49段階、複雑なものでは126段階にも及ぶ工程。平均経験年数8年以上という職人たちの手によって命を吹き込まれるバンソン ジャケットには、その証として一枚一枚にシリアルナンバーが刻印される。これは、自社工場での一貫生産と徹底した品質管理への絶対的な自信の表れである。
しかし、その道のりは平坦ではなかった。1970年代後半からの不況の煽りを受け、バンソンは1983年に一度、倒産の憂き目に遭う。いかに優れた製品であっても、時代の荒波には抗えなかった。だが、本物の輝きは失われなかった。翌1984年、バンソンは〈Vanson Leathers バンソン・レザース〉として奇跡の復活を遂げる。その品質と哲学は、確かに次代へと受け継がれた。
この不屈のブランドが、日本で爆発的な人気を獲得する転機が訪れる。1980年代後半から90年代にかけて、渋谷を震源地とした「渋カジ」ブームである。当時、バンソンのライダースは、アメカジのヒエラルキーにおいて頂点に君臨する「最強の革ジャン」であった。渋谷のストリートで、背中に輝く「STAR 星」や、骨を象った「BONE 骨」のデザインを纏うことは、選ばれし者の証であったのだ。
このブームを牽引したのが、渋谷の名店「THE BACKDROP バックドロップ」をはじめとする、目利きのセレクトショップである。彼らはバンソンの潜在能力にいち早く着目し、日本人の体型に合わせた別注モデルを次々と生み出した。その代表格が、今や定番ダブルライダースの地位を確立した「MODEL C2 モデルC2」である。元々あった「MODEL C モデルC」の着丈を短くリサイズしたこのモデルは、本国アメリカのカタログに逆輸入されるほどの完成度を誇った。バンソン ライダースの伝説は、日本の情熱的な愛好者たちによって、新たな次元へと昇華されたのである。
時代は巡り、ファッションのトレンドはめまぐるしく変化する。しかし、バンソンが放つ孤高の魅力は色褪せない。それは、ただの服ではない。自らの生き様を刻み込む「相棒」であり、纏う者の精神性を映し出す「鎧」である。この重厚なvanson レザー ジャケットに袖を通すという行為は、自らのスタイルを貫くという覚悟そのもの

