HYSTERIC GLAMOUR
ロックとアートの反逆。東京発、サブカルチャーを纏うポップアイコンの軌跡
1984 | TOKYO, JAPAN | Nobuhiko Kitamura
1980年代初頭の東京。夜な夜なクラブ「ツバキハウス」に集う若者たちは、パンクロックやニューウェーブの洗礼を受け、独自のユースカルチャーを熱狂とともに形成していた。そんな狂熱の時代に、音楽とアートをファッションというキャンバスに叩きつけたひとりの青年がいた。彼が立ち上げたのが〈HYSTERIC GLAMOUR ヒステリックグラマー〉だ。現在に至るまでストリートで絶大な人気を誇るこのブランドは、単なるアパレルメーカーではない。その歴史を紐解くと、自身の愛するサブカルチャーを「架空の物語」として衣服に憑依させた、ひとりの青年のブレない生き様が見えてくる。
その青年こそ、ヒステリックグラマーのデザイナー北村 信彦である。彼は1970年代のロックミュージックと、アンディ・ウォーホルに代表されるアメリカンポップアートに多大な影響を受けて育った。東京モード学園に在籍していた彼は、夜のクラブシーンで感性を磨きながら、当時一世を風靡していたアパレルメーカー、オゾンコミュニティでアルバイトとして働き始める。そこで非凡なセンスを見出された彼は、1984年、若干21歳という若さで同社から自らのブランドを立ち上げる機会を得たのである。
初期のブランドを語る上で欠かせないのが、北村の特異なアプローチである。彼は「架空のロックバンド」や「そのバンドを追いかけるグルーピーたち」を頭の中に思い描き、彼女たちが着るであろう服をデザインしていった。マスメディアの広告やポルノグラフィティ、シニカルなポップアートをコラージュしたようなグラフィックは、ただの柄ではなく、彼の中に実在するカルチャーの具現化であった。レコードのジャケットを作るように、服作りを「自己表現のメディア」と捉えたこの斬新な視点こそが、新しい刺激に飢えていた若者たちの心を強烈に射抜いたのである。
そして、過激でポップなビジュアルの裏に隠されたもう一つの顔が、ヴィンテージウェアへの異様なまでの執着である。色褪せたバンドTシャツの風合い、ミリタリーウェアの頑強な縫製、そして何より1960年代のブルーデニムの完全なる再現。単にプリントを乗せるだけでなく、糸の選定から染め、旧式の織り機に至るまで、日本の職人技術を駆使した徹底的なモノづくりがプロダクトの根底を支えている。ただのアバンギャルドなデザインであれば、時代の波に消費されて終わっていただろう。本物へのリスペクトに裏打ちされた確かなクオリティがあるからこそ、色褪せない定番として長く愛され続けているのだ。
ブランド設立から40年以上。トレンドが目まぐるしく消費される現代においても、北村の哲学は微塵もブレていない。彼が生み出す服は、あの頃のロックが放っていた初期衝動そのものである。音楽が鳴り止まない限り、彼らの反逆劇もまた、我々の知的好奇心を永遠に刺激し続けるのである。

