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ナイキの人気シリーズ「エア マックス」とは?「エア マックス95」誕生前夜の名作たち。

生来、人間は歩まねば前へは進めない。歩みとはつまり不可欠な自由行動であり、歴史、進化のパラフレーズ。だからこそ、その足元を支える靴もまた、他のアイテムとは異なる重要性を持つのだろう。

などという言い回しが大袈裟に聞こえないほど、そのブランド、そのスニーカーの存在感は際立っている。誰もが知るギガブランド〈NIKE ナイキ〉が手掛けし、無二の大傑作「Air Max エアマックス」シリーズ。業界内外を揺るがした大発明は、いかに生まれ、どんな歩みを辿っているのか。

その圧倒的バリエーションを、“伝説”ともすべき「Air Max 95 エア マックス95」の誕生前後で分けてプレイバック。まずは前編から、とくとお楽しみあれ。

有翼の女神がもたらした
1987年の衝撃

さて、第一歩は生家への表敬訪問からはじめたい。〈NIKE ナイキ〉とはなにか。誰もが知るとは言いながら、今さら聞けないビギナーを置いてけぼりにはできない。玄人の諸兄姉には心苦しいが、少々のお付き合いを願おう。 歴史の始まりは1964年。スタンフォード大学で経済学を専攻しながら陸上選手としても活躍していたフィル・ナイトと、オレゴン大学の陸上コーチだったビル・バウワーマンによって設立された「ブルー・リボン・スポーツ社」を前身とする。 ただし、当初はシューズの開発までは行なっていない。日本のシューズブランドである〈Onitsuka Tiger オニツカタイガー〉の販売代理店として、彼らは営業車の後部座席に日本製スニーカーを積んでアメリカ各地を駆け回っていたようだ。 1966年にはサンタモニカに路面店を開き、日本のスニーカーをアメリカ仕様にアジャストするためのフィードバックなどを通じて次第に開発そのものにも関与。ビル・バウワーマンのアイデアから生まれた「TIGER CORTEZ タイガー コルテッツ」は、看板商品へと成長した。 蜜月を築く日米両社。ただその関係は、長くは続かず。輸送や発注に関してトラブルが頻発し、1971年にオニツカタイガーとの提携を終えた。この“独立”のタイミングで社名を変更。ギリシャ神話における勝利の女神「NIKE ニケ」から名前を譲り受け、トレードマークの「SWOOSH スウッシュ」がデザインされたオリジナルシューズの製造・販売をスタートするのだ。 以降、有翼の女神はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いでスマッシュヒットを連発。1982年に「Air Force1エア フォースワン」、1984年に「Air Jordanエア ジョーダン」をお披露目し、1987年にはついに「Air Max エアマックス」を産み落とす。 スポーツシューズの歴史を変えたとされるエア マックスが、いかにセンセーショナルだったのか。その詳細は、実際にアイテムを見ながら振り返るとしよう。

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「エア マックス」とは?
テクノロジーを可視化した発明品
「Air Max エア マックス1」

オリジン・オブ・エア マックス。1987年の元祖モデル「Air Max 1 エア マックス1」は、その土台を画期的なテクノロジーが支える。〈NIKE ナイキ〉の代名詞でもあるエアクッショニングシステム、つまり「Air=エア」だ。ただし、エア マックス前夜のそれとは様相が大きく異なる。

1987年生まれの揺るぎなきオリジン、「Air Max 1 エア マックス 1」。

ミッドソールに空気を注入するこの技術はもともと、1970年代後半に航空宇宙エンジニアのフランク・ルディによってもたらされた。記念すべき初採用モデルは、1978年発表の「Air Tailwind エア テイルウィンド」。しかし、当時のシューズの外見からはその特徴が確認できない。ミッドソールに内蔵され、目に見えない状態だったからである。 そのため、この技術のメリットは実際に履いた人にしか伝わらず。ばかりか、エアバッグに圧が掛かると逃げ場がないというデメリットも露呈。総じて、クッション効果を最大限に発揮できなかったのだ。 ところが、ひとりの天才によって難題は鮮やかに解決される。ティンカー・リン・ハットフィールド・ジュニア。1981年にナイキに参画した伝説的デザイナーは、エアがミッドソールから大胆に覗く「ビジブル エア」を開発。パリのポンピドゥー国立芸術文化センターから着想した設計で、エアバッグの圧をサイドから解放してみせた。

大胆に可視化された「ビジブル エア」が、新たな時代を切り開いた。

かくしてビジブル エアは、エア マックス1で初採用。リリースタイミングの3月26日は「エア マックスデー」と呼ばれ、今も特別な日として祝われている。 スポーツシューズ史上初めて達成された可視化テクノロジー、その主であるエア マックス1。両者はともに前身し、目が眩むほどの冒険を続ける。外野からも羨望の眼差しを向けられ、2025年春には〈Supreme シュプリーム〉とのコラボレーションも発表。ますます活躍する初代から、目が離せそうもない。 (→〈ナイキ〉に関する特集記事はこちら) (→〈ナイキ〉の「エア マックス1」をオンラインストアで探す)

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「エア マックス」とは?
進化を橋渡しした隠れし名作
Air Max Light エア マックスライト」
Air Max 2

偉大なる開祖の後は、安定感のある二代目を。1989年リリースの「Air Max Light エア マックスライト」は、その立ち位置から通称「Air Max 2 エア マックス 2」とも呼ばれる。

美しいシルエットに過度な装飾なし。「Air Max 2 エア マックス 2」はカルト的人気を誇る。

ランニングカテゴリーから発表された同作は、初代を上回るミッドソールの軽量化に成功。正式名称の“ライト”は、その功績を基とする。また、アウトソールにはトラクションを強化する「センター プレッシャー ワッフルソール」を装備。ランナーのためのスムーズな蹴り出しを実現した。

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今では一般的なTPU素材だが、エア マックスシリーズでは本モデルにて初搭載。

さらにもうひとつ、シューホールガードも見落とせないディテール。TPU素材のパーツが新たに採用され、軽量化と耐久性が強化された。 次項で紐解く三代目と比べると、どうしても堅実、いや地味な印象が拭いにくい二代目。実際に、発売当初の注目度もさほど高くなかったそうだ。だが、一門のさらなる発展の橋渡しになった事実は疑いようもなく、近年では“隠れた名作”として地位も向上している。 (→〈ナイキ〉の「エア マックス ライト」をオンラインストアで探す)

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「エア マックス」とは?
地位を確固たるものとした
Air Max 90 エアマックス 90
Air Max 3

続いては、発売年にちなんで名付けられた「Air Max 90 エアマックス 90」を紹介。1990年リリースの三代目であり、当初はむしろ「Air Max 3 エア マックス 3」と呼ばれていたそうだ。 nike_ナイキ_Air-Max-90_エア-マックス90_01

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「Air Max 90 エアマックス 90」は、シリーズの人気をさらに高めた記念碑的モデルだ。

特徴はずばり、「速そうに見える」こと。過去モデルをベースに視覚的・機能的アップデートが施され、スポーティなアイコニックデザインを構築している。 シューホールには、二代目譲りのTPU素材が鎮座。ヒールタブにNIKE AIR、サイドにAIR MAXと、お馴染みのフォントで自らの価値を声高にアピールする。サイドアッパーはこれまでのシリーズ同様、ヒールに向かってせり上がるようなカッティング。そのうえで、スウッシュを半分ほど隠す大胆なビジュアルに変更された。

アイコニックなあしらいが、そこかしこに。「速そうに見えるシューズ」という評判も頷ける。

そして、ビジブル エアにも変化が見られる。エアウィンドウを拡大し、注入するエアを大幅に増量。さらにはヴィヴィッドな色彩でエア部分を囲い込むことでデザインを強調し、自慢のテクノロジーを強烈に主張している。

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ビジブル エア以外の進化も見どころに。(左)エア マックス1 (中央)エア マックスライト (右)エア マックス 90

ちなみに写真のモデルは2020年製で、ファーストカラーである「INFRARED インフラレッド」を30周年のタイミングで刷新した「RADIANT RED ラディアンレッド」を採用。いずれにせよ、色鮮やかな造形美は年を経て褪せず。近頃では「GORE TEX ゴアテックス」素材を載せたモデルまでリリースされるなど、百花繚乱の様相を呈する。 (→〈ナイキ〉の「エア マックス 90」をオンラインストアで探す)

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「エア マックス」とは?
大きな窓から未来が覗く
Air Max BW エア マックス BW
Air Max 4

これまで説明した通り、エア マックスのアイコンはビジブル エア。前述の“3”の大成功は、その持ち味をよりダイレクトにアピールした成果ともいえよう。 nike_ナイキ_Air-Max-BW_エア-マックスBW_01

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国内外のスニーカーヘッズから高支持を受ける「Air Max BW エア マックス BW」は、別注や限定モデルも多数存在。

となれば、次なる四代目もその流れを踏襲。「Air Max 4 エア マックス4」として発表された通称「Air Max BW エア マックス BW」は1991年のモデル。「BW」とはすなわち、ミッドソールの「BIG WINDOW(ビッグウィンドウ)」の省略形だ。

モデル名の由来となった、大きなエアウィンドウが特徴。

名前に違わず先代モデル以上に大きく作られたエアウィンドウには、当然ながら大量のエアを内包。結果、クッション性がさらに高まり、快適な歩行を無理なくサポート。印象的なビジュアルと合わせて、四代目の価値を証明するディテールとなった。

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パッドを備えた厚みある履き口とシュータン。滑らかな足入れを叶え、靴擦れ防止にもひと役買う。

着用感の向上においては、型押しのブランドロゴが配置されたシュータンとその周りの履き口も一助に。厚みのあるパッドのソフトな足当たりゆえ、靴擦れの心配が少なくなった。また、前作よりシューホールの数が増えたため、フィット感を調整しやすくなった点も見逃せない。 写真は、本作を象徴するカラーリングであるブラック/ホワイト/ペルシアンバイオレットのコンビネーションモデル。サイドアッパーには全体を繋ぐような一筋のラインが流れ、シャープかつエネルギッシュに仕上がっている。 (→〈ナイキ〉の「エア マックス BW」をオンラインストアで探す)

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「エア マックス」とは?
一族きっての変わり種
Air Max 180 エア マックス 180

エア マックスでありながら、エア マックスにあらず。そんな魅惑のパラドクスを秘めるのが、こちらの「Air Max 180 エア マックス 180」。無二の変わり種として、誉れ高き歴史に名前を刻んでいる。 nike_ナイキ_Air-Max-180_エア-マックス180_01

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その画期的すぎる機構からか、当初はエア マックスとは別ラインで展開された「Air Max 180 エア マックス 180」。

リリースは1991年。そう、先に紹介した「Air Max BW エア マックス BW」の同期に当たる。当時のモデル名は「Air 180 エア ワンエイティー」。文字通り180度に展開されたビジブル エアには、「エア マックス 90」の50%増しとなるエアが注入された。

斬新な180度ビジブル エアクッショニングシステムこそ、シリーズきってのユニークモデルの真骨頂。

それでも、エアを取り囲むアウトソールまで透明となったその独創的な作りからか、当初はエア マックスシリーズとは異なるラインで展開。後年の復刻の際にエア マックス 180へとモデル名が変わり、正式に一族の仲間入りを果たしたのだ。 紆余曲折の原因ともなった画期的なデザインは、実は馬蹄に由来。今作においては実験的に搭載されたこの機構だが、シリーズ続編では定番のディテールとして採用されている。

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シュータンにはオリジナルのモデル名「Air 180」が記されている。

往年のランニングシューズ「AIR MARIAH エア マライア」の色味をオマージュした写真のモデルは、通称「ULTRA MARINE ウルトラマリン」と呼ばれるカラー。軽快かつ爽やかに足元を彩る。なお、2018年のパリコレでは〈COMME des GARÇONS Homme Plus コム デ ギャルソン・オム プリュス〉との協業も発表。変わり種特有の独創的デザインは、ファッション業界からの太鼓判が押されているのだ。 (→〈 コム デ ギャルソン・オム プリュス〉に関する記事はこちら) (→〈ナイキ〉の「エア マックス 180」をオンラインストアで探す)

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「エア マックス」とは?
最も美しい
Air Max 93 エア マックス 93

お次は、スニーカーフリークの間で「最も美しいエア マックス」とも称される傑作。1993年リリースの「Air Max 93 エア マックス 93」を題材に、進化の過程を探っていこう。

シンプルでいて洗練。「Air Max 93 エア マックス 93」は「最も美しいエア マックス」とも称えられている。

最大の特徴は、ヒール部分に配された270度のビジブル エア。牛乳を入れるためのピッチャーであるミルクジャグの持ち手からインスパイアされたこのデザインは、新たな形成技術「ブローモールドエア」によって成し遂げられている。

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ブローモールドエアはその後、「Air Burst エア バースト」や「Air Force Max エア フォース マックス」などにも採用された。

ふたつのカプセルを8本のシリンダーで結合し、エアの容量を大幅にアップ。クッショニングが向上する一方で、エアを覆うための補強材が不要となった。つまりはビジブル エアという普遍のアイコンが、視覚的にも機能的にも大きな前進を果たしたのだ。

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シュータンとアッパーが一体化した「ハラチシステム」を搭載。効率的なシンプルデザインが光る。

身も花もある進化は、履き口周辺にも見られる。シュータンとアッパーを一体化したインナースリーブは、何を隠そうあの「ハラチシステム」。1991年の「Air Huarache エア ハラチ」で初採用されたこのディテールが、絶妙なルックスと抜群のフィット感を両立。着脱を容易にする副次的効果も、コンフォートを見据えた慧眼と言えよう。 最も美しい。それは見た目だけでなく、満足度の高い着用感からくる形容でもあるはずだ。 (→〈ナイキ〉の「エア マックス 93」をオンラインストアで探す)

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「エア マックス」とは?
再評価の時を待つ
Air Max 94 エア マックス 94

いよいよ前編も佳境。金字塔“95”の誕生より一年前、1994年にリリースされた「Air Max 94 エア マックス 94」は、これまでのエア マックスのディテールをパッチワークしたような“いいとこ取り”の容姿を誇る。 nike_ナイキ_Air-Max-94_エア-マックス94_01

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生まれ年のタイミングもあってか、「Air Max 94 エア マックス 94」は日本での知名度こそさほど高くないが……。

サイドアッパーはエア マックス 1やエア マックス ライトを彷彿させ、ミッドソールに位置する270度のビジブル エアやシュータンのロゴは、前作「エア マックス 93」から継承。履き口のデザインは、「エアマックスBW」を想起させる。 かたや、オリジナリティも散見する。例えばシューホールは、歴代のそれとは異なるひとつ一つが独立したような容姿に。疾走感に満ちたルックスは、おそらくフィット感の向上にも貢献する。

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歴代の名物ディテールに加え、オリジナリティもバランスよく備える。

海外での人気に比べて日本では知名度がそれほど高くなく、復刻も少ない本作。それもまた、“あのモデル”の直前に生まれたものの宿命か。されど、実に90年代的デザインが今、無性にココロを揺らすのも事実。悠々と、雌伏して時を待つ。 (→〈ナイキ〉の「エア マックス 94」をオンラインストアで探す)

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「エア マックス」とは?
オリジン誕生前夜の野心作
Air Max Zero エア マックス ゼロ」

本稿のトリを飾るのは、やはり真打「Air Max エアマックス 95」。……ではなく、「幻のエア マックス」と称されるレアモデル。時が前後して恐縮だが、2015年リリースの「Air Max Zero エア マックス ゼロ」を紹介して前編を締めくくりたい。 nike_ナイキ_Air-Max-zero_エア-マックスゼロ_01

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オリジン、エア マックス 1の前夜。“0”の名が体を示す「Air Max Zero エア マックス ゼロ」。

ゼロとはすなわち、1の手前の数字。その名が体を表すように、本作は「エア マックス1」が生まれる以前のコンセプトスケッチを基に製品化されたもの。かのティンカー・ハットフィールドによるその前衛的デザインは、残念ながら1987年当時の技術では実現不可能だったのだ。ゆえに、ゼロの成立は約30年の年月を待つこととなった。

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「エア マックス 93」で採用されたハラチシステムだが、実はエア マックス ゼロの構想段階から存在していたアイデアだった。

テクノロジーの進歩によって叶えられた本作のコンセプトは、「並外れた快適さと機能性のために必要な物だけを用いたシューズ」。余分を排除したアッパーには新素材のメッシュとテキスタイルが使われ、ソールユニットは当時のエア マックス史上最軽量モデル「Air Max Ultra Molre エア マックス ウルトラ モアレ」を踏襲した。

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シームレス構造のアッパーも、1987年当時では再現できなかった“未来基準”。

インソールには、「03/26」のナンバリングプリントが施される。勘のいい読者であればお気付きかもしれないが、これはエア マックス1の誕生日、いわゆる「エア マックスデー」を示唆。当時のスケッチから紐解いたイエローとホワイトの配色、通称「Tinker Sketch ティンカー スケッチ」と合わせ、なんともロマンが香るギミックである。

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インソールのロゴとナンバリングが、シリーズ特有のカルチャーを物語る。

最後に、とっておきの余談を。ナンバリングが示す1987年3月当時には、ナイキがスポーツシューズの“革命”をアピールすべく大型プロモーションを敢行。テレビCM「ナイキ エア レボリューション」が放送された。そのBGMには「The Beatles ビートルズ」の「Revolution レボリューション」が使われ、大きな反響を獲得している。Well, Don’t You Know?

(→〈ナイキ〉の「エア マックス Zero」をオンラインストアで探す) 人間の営みに欠かせない“空気”を巧みにパッケージした、人類の歩みを支えしマスターピース。スニーカー史、いや地球上の歴史そのものに大きな影響を与えたであろう稀代の名シリーズ「エア マックス」。その輝かしい足跡の前半を、やや駆け足で振り返った。 続く後編には、遂にあのレジェンドも登場。 終わりなき革命の続きを、心してお待ちいただきたい。  

(→ 伝説の「エア マックス95」誕生以降の名作たちに関する記事はこちら)

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