SUN SURF
太平洋を越えた絹とレーヨンの記憶。黄金期の熱狂を現代に編み直す探求の軌跡
1965 | TOKYO, JAPAN | Toyo Enterprise
ヤシの木、波乗り、色鮮やかなトロピカルフラワー。まるで南国の情景をキャンバスに落とし込んだかのような「着る芸術」。夏の風物詩として世界中で愛されるアロハシャツの中でも、1930年代から50年代に作られた「ヴィンテージ」と呼ばれる黄金期の作品群を、現代に完璧な姿で蘇らせているのが〈SUN SURF サンサーフ〉である。いまや本場ハワイを凌ぐほどの情熱で、ヴィンテージの魅力を発信し続けるサンサーフとは、いかなる歴史と哲学を持つブランドなのだろうか。
そのルーツを深く掘り下げると、実はハワイではなく、第二次世界大戦後の日本へと行き着く。1940年代後半、米軍基地周辺で駐留軍に向けた土産物として、パラシュート用のシルク生地などに和柄の刺繍を施した「スーベニアジャケット」、通称「スカジャン」が誕生した。このスカジャンの生みの親であり、ブランドの母体となる東洋エンタープライズ社の前身「港商商会」は、当時ハワイに向けても衣料品や生地の輸出を行っていた。そもそもアロハシャツの起源は、ハワイへ渡った日本の移民たちが着ていた着物にあるという説が有力である。日本の精巧な和装プリントの技術は海を渡り、南国の地で色鮮やかなシャツへと姿を変え、不動の人気を誇る黄金期を築き上げていたのである。
1965年、ベトナム戦争を背景とする情勢の変化に伴い、米軍兵士の減少を見越した港商商会は、国内向けの衣料品メーカー「東洋エンタープライズ」として新たな歩みを始める。そして1970年代に産声を上げたのが、アロハシャツ専門のブランドであるサンサーフだ。彼らが目指したのは、単なる南国テイストの衣類を量産することではない。かつて自らのルーツである日本の職人たちが深く関わった、色褪せることのないヴィンテージの魅力を、後世へと語り継ぐことであった。
彼らのモノづくりは、気の遠くなるような徹底したリサーチから始まる。ブランドを牽引した初代ディレクターであり、世界有数のヴィンテージコレクターでもある小林 亨一は、数千着にも及ぶ膨大なアーカイブを収集。ヴィンテージ特有のレーヨン生地の落ち感はもちろんのこと、染料の配合、ヤシの実や竹から削り出されたボタンの質感、そして当時と同じ「抜染」や「オーバープリント」といった複雑な捺染(なっせん)技法に至るまでを完全に解剖。失われつつあった当時の製造工程を、現代の日本の熟練職人の手によって緻密に再現しているのである。
妥協を一切許さないこの姿勢によって生み出されるプロダクトは、単なる復刻の枠を超え、当時の空気感ごとパッケージしたかのような圧倒的な凄みを放つ。毎年発表される新作は、ヴィンテージ市場では到底手に入らないような幻の名作さえも実際に纏うことができるため、世界中のコレクターや服飾愛好家から定番のアイテムとして絶大な支持を集めている。
日本の移民が持ち込んだ着物の文化と、戦後の復興を支えた職人たちの技術。太平洋を挟んで交差したふたつの歴史は、我々の夏を鮮やかに彩り続けている。一着のシャツに込められた狂気的なまでの熱情に触れるとき、我々は時を超えて、黄金期のハワイの風を肌で感じることができるのである。

