ASICS
健全なる精神とテクノロジーの融合。世界を席巻する日本発のフットウェア
1949 | HYOGO,JAPAN | Kihachiro Onitsuka
“群雄割拠のスニーカーシーンにおいて、独自の異彩を放ち続ける存在がある。欧米の巨大スポーツブランドや名だたるメゾンが鎬を削る中、極東の島国から生まれたそのブランドは、圧倒的な機能美で世界中のファッショニスタを虜にしている。〈ASICS アシックス〉。スポーツの枠を超え、現代のストリートを牽引する日本が誇るイノベーターである。
物語の幕開けは戦後間もない1949年。創業者である鬼塚 喜八郎が、スポーツを通じて若者たちの健やかな育成を願い、神戸で鬼塚株式会社を設立したことに端を発する。タコの吸盤からヒントを得たバスケットボールシューズなど、常識を覆す発想と職人技で数々の名作を生み出した前身ブランド〈Onitsuka Tiger オニツカタイガー〉。その挑戦の歴史とモノづくりへの情熱こそが、現在のブランドの強靭な骨格となっている。
このオニツカの技術力がいかに突出していたかを物語るエピソードがある。のちに世界最大のスポーツカンパニー〈NIKE ナイキ〉を創設することになるフィル・ナイトとの邂逅だ。1962年、来日したナイトはオニツカシューズの高品質と低価格に衝撃を受け、アメリカでの独占販売権を獲得。陸上の名コーチであるビル・バウワーマンと共に「ブルーリボンスポーツ(BRS)社」を設立し、輸入販売を開始した。やがてバウワーマンの提案によりソールのクッション性を向上させたモデルが開発され、1967年に「タイガー コルテッツ」として誕生。これがアメリカで大ヒットを記録する。
しかしその後、両社は決別し、BRS社はナイキを立ち上げてスウッシュをまとった「ナイキ コルテッツ」を発売。一時期、市場に二つのコルテッツが存在し、商標を巡る訴訟にまで発展した。結果としてオニツカ側は名称変更を余儀なくされ「タイガー コルセア」として現在に至るが、世界最強のスポーツブランドのルーツにオニツカのDNAが深く刻まれているという事実は、日本のモノづくりがいかに世界水準であったかを雄弁に物語っている。
その後、1977年にスポーツウェアメーカーなどとの合併を経て、社名を現在のアシックスへと変更。「もし神に祈るならば、健全な身体に健全な精神があれかしと祈るべきだ」という古代ローマの風刺作家ユウェナリスの言葉「Anima Sana In Corpore Sano」の頭文字が、その名の由来である。この哲学のもと、人間の身体の動きを科学的に分析し、マテリアルから徹底的に研究する姿勢は、他の追随を許さない。
彼らの名を世界に轟かせた最大の革命が、1986年に登場した衝撃緩衝材「GEL ゲル」テクノロジーだ。着地時の衝撃を劇的に和らげるこの独自技術は、アスリートたちの足を過酷な負担から解放した。この革新的なクッション性を搭載し、日々進化を続けるアシックスのランニング シューズは、世界中のシリアスランナーから絶大な信頼を獲得していくこととなる。
そして、その高度なテクノロジーが凝縮されたプロダクトたちは、やがてファッションの文脈において新たな評価を獲得していく。その筆頭が、1993年の誕生以来、安定性とクッション性を両立した最高峰モデルとして進化を続ける「ゲルカヤノ」である。本来は長距離ランナーのために設計されたギアだが、その複雑で構築的なアッパーデザインと重厚なシルエットは、感度の高いファッショニスタたちの目に留まり、近年のテック系スニーカートレンドと完璧に合致。今やアシックスのスニーカーを語る上で欠かせないマスターピースとして君臨している。
また、その特異なデザイン性で熱狂的なファンを生んだ名作も忘れてはならない。アッパーと靴紐を非対称に配置し、足の甲を圧迫しないよう設計された独自構造。かつてストリート界のゴッドファーザーこと藤原 ヒロシ氏も1999年に碑文谷のダイエーで発見し、その斬新なデザインに惹かれ愛用していたという「ゲルマイ」である。こうした既成概念にとらわれない前衛的なアプローチが、長きにわたりカルチャーの最前線で愛される理由の一つだ。
真の機能性を追求した先に現れる、無骨で飾らない美しさ。世界的なデザイナーたちがこぞってコラボレーションを熱望する事実が、その絶対的な価値を証明している。アシックスのシューズを履き、ストリートの喧騒を闊歩するとき、半世紀以上にわたる日本のモノづくりの魂を、その身で、いやさその足で体感するはずだ。”

